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第113回 命がけの取材 |
前回と前々回の2回のコラムで、急遽取材に向かった対馬の話をしました。
今回は、その前に述べていました毎日新聞での話に戻ります。
あと数回で一度この話は締めたいと思いますので、もうしばらくお付き合いください。 |
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第112回 対馬への弾丸取材<その2> |
前回に続いて対馬の話をしたいと思います。それは、お土産屋さんでの出来事です。私の父親は現在93歳で、少し年下の母と茨城県で仲睦まじく暮らしています。その2人に対馬の美味しい魚を送ろうと思ったのです。
すると、たまたま車で通りかかった港にまさにうってつけの海鮮を中心としたお土産屋さんがありました。 |
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第111回 対馬への弾丸取材<その1> |
皆さん、こんにちは。今回は緊急で、ある大切な話をしたい思います。
実は先日、長崎県の対馬に行ってきました。対馬は東西に80キロ以上ある島で、東西と言っても斜めになっていますので南北と言った方がよいかもしれませんが、すごく大きな島なのです。 |
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第110回 会社経営に向いているDNA |
前回は、私が文筆業と会社経営を生業としていること、そして恩人に支えられながらもうまく両立しているお話をしました。
今回は、実は私が会社経営をしているのは必然だった!?
という話をしてみたいと思います。 |
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第109回 物書きと社長業 |
前回は、私がソロモン・ブラザーズの仕組んだ株の暴落の大特ダネをつかんだ話から始まり、やがて経済トレンドの本を書くようになったということをお伝えしました。
実は、私は小学校と中学校時代は作文が苦手で、文章には全く自信がありませんでした。それが今では文章を生業としているのです。 |
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第108回 バブル崩壊時の株価暴落の謎を暴く |
私は、中村信一郎氏が声をかけてくれたその日から、日本経済新聞、日経金融新聞(現在の日経ヴェリタス)をくまなく読み、そして毎日新聞社の調査部にも毎日入り浸りでした。
書店にも行き、金に糸目をつけずに関係のありそうな本は全部買いました。 |
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第107回 「何か、変だな」という気付き |
前回は、“浅井隆”というペンネームをつけてくれた、集英社の中村信一郎氏の話まで述べました。
前回も述べましたように、日本の運命が変わった1990年2月の株の暴落から2~3週間後、私が当時勤めていた毎日新聞写真部の24時間勤務の時に
中村信一郎氏が電話をしてきたのでした。 |
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第106回 「浅井隆」誕生秘話 |
『破滅へのウォー・ゲーム』を出版することになり、私としては初めて長い文章を書くことになりました。
もちろん、新聞社にいた時にキャプション(新聞の写真についている説明)を付けたことはありますが、せいぜい2行程度の短い文章です。 |
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