天国と地獄
 

2025年4月18日更新

第256回  運命の神秘<その3>

その槙さんは人間や国家の運命・運勢を占うことを生業としていました。
槙さんは「四柱推命」というある4つの情報から
その人(や国家)の運命を推察するという方法に長けていました。
その「大切な4つの情報」は何だと思いますか?
それは人に関する最も大事な情報で、
四柱推命ではそれさえわかれば運勢がわかるとされています。

答えは、「①生まれた年」「②生まれた月」「③生まれた日」「④生まれた時間」です。
生年月日と詳細な時間さえわかれば、運命がほとんどわかってしまうというのが四柱推命です。
この四柱推命の起源は、紀元前1400-1300年頃の中国(殷代)で
陰陽五行説を元にして生まれた人の命運を推察する方法です。一種の予測学ですね。

しかしその正確性から、古来の中国では武将や政治家が自ら生年月日を人に教えることはなかったそうです。
もし敵に知られたら、運気の悪い時期を見計らって謀略(戦い)を仕掛けられてしまう恐れがあったためです。

日本に伝わったのは江戸時代の中期で、
桜田虎門(さくらだこもん)が『推命学』として四柱推命を紹介しました。
これは日本で初めての四柱推命に関する書籍であり、その後の普及に大きく貢献します。
そして、今でも四柱推命は占い師や風水師たちの間で広く使われ、
「占いの帝王」とも言われています。
ちなみに英語圏では、「Four Pillars of Destiny」もしくは「Four Pillars Astrology」と呼ばれ、
最近では重宝されるようになりました。

槙さんがなぜ四柱推命を研究するようになったかというと、小学校5年生くらいのころ
「易者」(主に東洋の算木、筮竹、手相見などを用いて将来のことを予想する人)に
ものすごく興味を持ったことに由来するそうです。
槙さんは様々な占いに関する本を読みあさり、やがていろいろな人の運勢を見るようになりました。
しかし、たまたま自分の親友の運勢を見た際「まもなく死ぬ」と出てしまい、
それをストレートに親友へ伝えところ当然のごとく怒りを買い、
「絶交だ」と言われてしまったそうです。
しかし、本当に1ヵ月後に親友は交通事故で亡くなりました。
それ以来、槙さんは占いが怖くなり“封印”したといいます。

その後、槙さんは満州に渡りました。
その頃の中国は清の時代で、清を作ったのは漢民族ではなく別の民族(女真族)でした。
やがて日本が清の北東部に満州国を作り支配しますが、
槙さんはその満州国の「奉天第一中学校」(満鉄が奉天市に創設した旧制中学校)に在籍していたそうです。

奉天第一中学校には日本人だけでなく中国人の学生もいて、
その中で少し雰囲気のある友達から、「家に遊びにおいで」と誘われたので槙さんは遊びに行きます。
そこはとんでもなく広い家で、そこで友達のお爺さんに出会います。
お爺さんは白髪でひげを長く生やした、仙人のような人でした。
槙さんは、「この雰囲気のある人は、いったい何だろう」と思ったそうです。
お爺さんは、清の皇帝の方術士(占いをする人)だったのです。
そのお爺さんは槙さんに向かって、次のように話したそうです――
「君は日本人か。日本は昭和20年の夏に負けるから、早くここから出て行きなさい」。

これを聞いた少年の槙さんは、憤慨しました。
当時の子供は皆、もれなく愛国心が旺盛です。
「そんなことを言う人のところには二度と遊びに行かない!」とふてくされました。
しかし、昭和20年8月15日、日本は本当に敗戦を迎えます。
すると、ソ連軍が日ソ中立条約を一方的に破棄して、満洲国に進軍してきました。
多くの日本人が殺されるか抑留されましたが、槙さんはなんとか日本に帰国します。
そして戦後、槙さんは日本で事業を成し、それなりの財産を築きました
(何の事業をしていたかは教えてもらえませんでした)。

槙さんが中国で会ったお爺さんは、「四柱推命」を基に日本の敗戦を的中させたのでした。
敗戦後も槙さんはそのおじいさんの予言が忘れられず、四柱推命の研究に没頭し始めます。
それは、事業で成したお金のほぼすべて注ぎこむほどの熱量だったようです。

その当時はコンピュータなどありません。
そのため槙さんは、大枚をはたいてその原型のような計算機
(チューリングマシンのようなものでしょう)を米軍から払い下げを受けたと言います。
そして四柱推命だけではなく、世界中のありとあらゆる占い(神秘)を研究し、
槙さんはやがて人間や国家の将来・運命を占う独自の学問を作るに至りました。

私は槙さんと会った際、まず自分の名前、そして生年月日(時間も)を書いたことを覚えています。
すると、過去1年と未来3年分の手書きの波動をもらいました。
そこにはいろいろな曲線(波動)が書かれていたと記憶しています。
その波動を健康運、家庭運、財運などごとに、6種類ほどもらいました。


こうした占いを、「単なる迷信だ」と片付けるのもいいでしょう。
しかし私は、古くから伝わる四柱推命のような占いはある種の「統計学」であると考えていまして、
日頃から仕事や生き方の参考にしています。実際、何度も当たりました。
前述したように四柱推命は紀元前にできたとされ、3000~4000年ほどの歴史があるとされています。
これほどまでに長く親しまれてきたということは(逆に言うとすたれなかったということは)、
やはりそれなりの精度があるからではないでしょうか。

現代科学をもってしても、世の中のすべてを解明することは到底できません。
ですから、時には古代から伝わる不思議な力(私は四柱推命は統計学だと思っています)で
ご自身を占ってみるのもよいのではないでしょうか。
もちろん、占いにすがって生きろということではありませんよ。
<以下、次号に続く>

 
この世には常識では測れない事がある。
私は統計学としての四柱推命を信じていて、実際、何度も人生を生きる際の指針となっている。
すがるのではなく、人生の岐路における判断材料のひとつとして上手く使っているのだ。
(2025年3月 高知・坂本龍馬記念館にて)