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2020年9月4日更新 |
第140回 世界でお気に入りの場所<その3> |
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皆さんは“ポーランド”というとどんなイメージをお持ちでしょうか?
冷戦時代、レフ・ワレサという労働運動の指導者が労働者たちを集め、港町でデモを起こし、
弾圧を受けながらも政権を握ったという、世界的にも有名な「ポーランド民主化運動」がありました。
ポーランドは、ドイツとロシア(旧ソ連)に挟まれ、苦難の歴史を持つ国です。
ヒトラー率いるナチスがユダヤ人を虐殺しましたが、
世界遺産にも登録されているアウシュヴィッツ強制収容所も、
実はドイツではなくポーランドの南部にあるのです。
数年前、第二海援隊でポーランドへのツアーを企画し、会員様とともに訪れました。
ポーランド航空が日本との直行便を開設したばかりで、航空券代もとても安かったのです。
ビジネスクラスでも、普通ヨーロッパなら80万円位するところ、50万円位だったと記憶しています。
座席もファーストクラス並みに上等で、食事もとても美味しかったのです。
就航間もないこともあり、一生懸命サービスしてくれたこともあるのでしょうが、
非常に素晴らしい航空会社でした。
私はこのツアーを通じて、ポーランドやワルシャワについて認識を深めることができました。
世界を見渡すと、隣国同士というのは往々にして仲が良くないものです。
たとえば、トルコとギリシャはこの数百年の歴史の中で、
いつ戦争になってもおかしくないほど仲が悪いと言われています。
日本と韓国も、仲が良いとは言えませんね。
そして、ポーランドとドイツもやはり仲が悪かったのです。
かつてヒトラーは、ワルシャワの街を全て破壊しました。
文化、芸術も含め、徹底的に破壊したのです。
ワルシャワの人口の約3割を占めるユダヤ人には芸術家も多く、文化水準が高いのですが、
ユダヤ人を迫害したヒトラーは、彼ら多くの知識人や文化人を殺害しました。
優秀な人はほぼ全員、アウシュヴィッツに送られてしまったのです。
ワルシャワの街は、壊滅的な打撃を受けました。
それを戦後、必死に再建したのです。 |
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第二次世界大戦時にドイツ軍により
破壊された町の様子を写した
写真の前で。
戦後、市民の募金等により
町や城壁を復興した。
(2017年6月 ポーランドにて) |
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私たちは王宮の近くのホテルに宿泊しました。
ポーランドと日本は、7時間の時差があります。
早朝3時か遅くても5時頃には目が覚めてしまうため、1時間ほど街を散歩しました。
女性初のノーベル賞受賞者であるキュリー夫人の生家も見に行きました。
キュリー夫人というのは、フランスのソルボンヌ大学(旧パリ大学)で色々な研究をした人ですが、
実はポーランド出身なのです。 |
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海外に行った時は、
早朝に街の散歩をする事にしている。
日本でも有名な科学者・
キュリー夫人の生家の前で。
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滞在中の食事も、とても美味しかったです。
食事は、その国の文化水準を表すものです。
今、和食が世界的にブームですが、ポーランドの料理も繊細な味でレベルが高かったのを憶えています。
しかも物価が安く、日本の3分の1ほどの料金で最高級レストランの料理を味わうことができました。
ところで、私は最近「NHKスペシャル」で放映されていたある番組を見てショックを受けました。
皆さんは、日本人の指揮者で「近衛秀麿」という人物をご存じでしょうか?
彼は時の首相、近衛文麿の異母弟で、いわゆる華族(貴族)です。
かつて、明治2年から昭和22年まで日本には、皇族のほかに近衛家などの華族が存在しました。
私は華族(貴族)というのは、一般民衆のことなど全く関心がない人が多いのかなと思っていました。
実際、昔の華族(貴族)の中には酷い人もいて、一般庶民のことを地下人(じげびと/じげにん)と呼んで
差別していました。かつて、あの平清盛でさえ最初は御殿に上がれなかったのです。
武士たちは御殿の外の地面に土下座をしなければならず、それを地下人と呼んだわけです。
そして平安時代以降、天皇の生活の場である清涼殿の殿上間に昇殿を許された
貴族や身分の高い人たちを、殿上人(てんじょうびと)と呼び身分を分けたのです。
ところが、近衛秀麿は全く違っていました。
当時、ドイツを拠点に活動していた彼は、ユダヤ人の亡命に協力し多くのユダヤ人の命を救いました。
また、ドイツ占領下のワルシャワでシューベルトの『未完成』を演奏したのです。
なんと、聴衆は皆、ドイツ軍の将校です。
楽団員の中には、隠れていたユダヤ人もいました。
もちろん、顔をさらすわけですから、その後秀麿を含めて全員逮捕されて殺されるかもしれません。
それでも彼は、芸術家を集めて命懸けの演奏会を開きました。
日本の華族(貴族)の中にも、このような素晴らしい人がいたのです。
実は私は、彼の演奏を生で聴いたことがあります。
私は、板橋区の稲荷台小学校に通っていたのですが、
小学5年生の時、体育館で初めて日本の交響楽団の生演奏を聴きました。
ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』などを演奏してくれたのですが、
その時の指揮者が彼だったのです。
ポーランドは、ドイツ軍にやられる前はロシア帝国にも酷い目に遭わされ、
一時ロシアの支配下にありました。
当時のポーランドが生んだ偉大な作曲家に「ショパン」がいます。
彼は愛国主義者で、国の独立運動などの活動をしていたため国に居られなくなり、
フランス(パリ)に亡命しました。
その後、作曲家として成功を収めるものの、結局、祖国への帰国は叶いませんでした。
遺体さえ運ぶことができなかったのです。
そこで彼の遺言に従い、姉がショパンの心臓だけをこっそりと祖国に持ち帰り、
ワルシャワの聖十字架教会の柱に埋めたのです。
そこが、ポーランドでのショパンのお墓というわけです。
ポーランドは、両側の大国から侵略され悲惨な目に遭った歴史を持つ国ですが、
中世の頃はヨーロッパの中でも非常に繁栄していました。
“ポーランド騎士団”と言えば、ヨーロッパ随一の騎士団と呼ばれていました。
今から400年ほど前、ウィーンがオスマントルコに包囲されて滅びそうになった時、
ポーランド騎士団が駆け付けウィーンを助けたのです。
そのような歴史もあり、いまだにオーストリアのウィーンとポーランドは良好な関係が続いています。
こうした歴史の中で、元々文化水準が高い国ですから、
ショパンのような偉大な作曲家も出てくるのでしょう。
ポーランドは、現在のEU加盟国の中では主要先進国とは言えませんが、
実際に訪れてみると、文化水準の高さが感じられます。
私は、ポーランドという国について、ひとつ一生忘れられない思い出があります。
ポーランドで最も歴史ある都市の一つである「クラクフ」
(日本でいえば京都に当たる南部の大きな古都)は、
大きな戦乱で破壊されることなく、現代まで中世の街並みが残っています。
なぜか、ドイツ軍はそこだけは壊さなかったのです。
その街でツアーは終わったのですが、もう少し滞在したいと思い、
私は個人的に「ザコパネ」という都市まで足を伸ばしました。
ザコパネはタトラ山脈の麓に位置し、日本でいえば箱根湯本とまでは言いませんが
ポーランド屈指の避暑地です。
初日は、大きなレストランで美味しい料理をいただきましたが、
二日目は地元のレストランに行ってみようと思いたち、散策しながら出掛けました。
ガイドブックに紹介されていたその店はなかなか見つからず、
40~50分歩いてようやくたどり着いたのですが、
料理はそれほど美味しくありませんでした。
しかし、そこで一生忘れられない思い出ができたのです。
その地元のレストランは、豪華ではありませんが少々レトロなテーブルが6~7個並んでいました。
ほぼ満席で、私の横のテーブルでは中年の男性が一人黙々と食事をしていました。
30代後半~40歳くらいの真面目そうな人です。
その彼が、食事を終えると信じられない行動を取りました。
全てのテーブルを回り、ポーランド語で何か言っているのです。
おそらく「今日は一緒に食事が出来て、ありがとうございました。よい夕べを」
とでも言っていたのではないでしょうか。
私を含む全てのテーブルを回り、深々と頭を下げながら言葉を掛けていました。
あのようなことは、世界のどこへ行っても見たことも聞いたこともありません。
率直に「すごい!」と思いました。
カトリックを国教とし、敬虔なキリスト教徒の多い国ではありますが、
ポーランド人の誰もがこのような素晴らしい人格を持っているわけではないでしょう。
しかしこの時以来、私はポーランドという国の素晴らしさを認識しました。
さらに、ザコパネの町ではケーブルリフトに乗って山を登り、見晴らしの良い高原に行きました。
カフェレストランでコーヒーを飲んだのですが、
人手が足りないようでウエイトレスがなかなか来てくれません。
声を掛けて呼んで、しばらくしてようやく来てくれました。
その時、「本当にごめんなさい! とても忙しくて、十分なサービスができなくてすみません!」
というようなことを片言の英語で言うのです。
私は、彼女のその態度に感動しました。
彼女の優しい言葉、優しい表情は、聖母マリアを思わせました。
この旅を通じて、私は「ポーランドという国は味わい深いな。なにより人間性が素晴らしい。
日本には、このような立派な人がどれほどいるだろうか?」と思ったものです。
このような素晴らしい人達に出会えた、非常に思い出深い旅となりました。
皆さんもこのコロナ禍が落ち着いたら、ぜひポーランドを訪れてみていただきたいと思います。 |
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ザコパネはポーランド人には
人気の観光地である。
日本人は立ち寄る人も少ないが、
山からの眺望は美しいので
ぜひ足を延ばして頂きたい。 |
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