今回は、日本の将来の話をしたいと思います。
まず1つ目は先日、日本経済新聞の名物コラム「大機小機」に
「
日本の学生の無関心は危険」と題した文が掲載されました。
そこには、要約すると以下のように書かれています。
パレスチナ自治区・ガザのイスラム組織ハマスがイスラエルを攻撃して
大量に人質を奪って以来、両者の激突は8ヵ月を迎える。
これに対し、アメリカ、カナダ、フランス、ドイツ、ベルギーなどの大学では、
学生たちがネタニヤフ首相の妥協のない戦争の継続や、
大学自体がユダヤ人組織から多額の献金を受けていることなどに強く反発しデモが頻発、
多数の逮捕者まで出た。一方で日本の大学ではそのような動きはほとんどない。
その理由として、元来、日本の学生たちは自分と直接関係のない
国際政治・経済動向への関心が薄いことを挙げ、
コラムは最後にこう結論を出しています――「学生たちの驚くべき無関心は、
日本国の先行きについて大きな不安を示しており、極めて危険な状況と言えるだろう」。
私も、若い人が国際政治や国内政治にほとんど興味を示さないという現状を憂いています。
遠慮なく言いますと、致命的な状況ではないでしょうか。
私は幕末から明治維新の歴史が大好きで、特に司馬遼太郎の小説を今でも読み返しています。
維新志士たちの活躍は、お金や地位を目的としたものでは決してありませんでした。
お互いの危機意識を共有し、どうすれば良いのか議論し、協力し合い、
時には対立しながらも最終的には幕府を倒すに至るのです。
幕府を倒し“国家”を再構築しないと列強に呑み込まれる、
という恐怖心がその最大の原動力でした。
明治維新は、そうした若者が日本を大きく変革した出来事です。
もちろん現代の全ての若者がダメだとは言うつもりありませんが、
そういう気概を持った青年は、かなり減ってしまったのではないかと感じています。
そう思っていた矢先、先日ある非常に面白い年配の方に出会いました。
それはⅠさんという74歳のシルバー(おじいさん)ですが、
私と同じく(いやそれ以上かもしれません)日本のこうした状況に危機意識を持っていました。
私は彼に興味を持って声をかけたら、
「浅井さん、一緒に日本を変えよう」と言ってくれ、私の家まで飲みに来てくれたのです。
そのとき彼は、私が思っていたことを口にしました
――「浅井さん、今の若い人に任せてもダメ。基本的にやる気がない。
もうシルバーが命をかけて最後にやるしかない。
俺たち老人がやるしかないんだ。一緒にやろう!」。
私は以前から、「こんな平和ボケしている国でも、
危機が来れば若い人の中からかつての維新の志士のような逸材が自ずと出てくるだろう」と、
漠然とですが楽観視していました。
しかし、Iさんは様々な人間を見てきたその経験上、「そうではない」と断言します。
私はこの点については同意しかねますが、
最近ではIさんが言っていることも正しいのかなとも思うことも多々あります。
本音では若者から傑出した人物が現れてほしいのですが……。
仮にIさんが正しかったとなると、日本の未来は相当に暗いものになると言わざるを得ません。
“失われた〇〇年はこれから始まる”といった手厳しい論調を書いた雑誌もあります。
決してこうなってほしくはありませんが、
非常に重要な記事ですので、以下に引用したいと思います。
――日本の先を行く欧米諸国を見れば、国民が真の豊かさを享受するのは
その国の経済力がピークを迎えた後の20~30年くらいだ。
経済成長期はインフラの不足や公害、地域格差などの問題が噴出する。
人々も競争に駆り立てられている。
やがて経済成長が穏やかになると、豊かになった人々には心の余裕が生まれ、
生活のゆとり、働き方や人権、環境への配慮などに関心が向かう。
また成長期に構築されたインフラが機能を十全に発揮する。
豊かで人心も安定した、社会的には平穏な状態になる。
ところがそんなに都合のよい状況は長く続かない。
社会資本の経年劣化は加速度的に進む一方で、
それを維持するだけの経済力は回復せず、雇用は縮小し、所得格差も必然的に増大する。
その状況に福祉や公教育の破綻が追い打ちをかけ、治安や社会の寛容度が悪化する。
まさに現在の欧米の姿であり、日本の近未来像である(週刊東洋経済 第7175号より)
本当の「失われた〇〇年」はこれから始まるのだと言っています。
私はこの記事にショックを受けましたが、現実問題として「それもありうるな」と思います。
もちろん、わずかですがまだ時間は残されています。
このコラムを読んでいただいた皆さんは、
できる限り日本を良くするために行動してもらいたいものです。
私も、死ぬまでには何かやってやろうと決心しています。
このコラムでも、今後はこうした内容を発信していきたいと思っております。 |