天国と地獄
 

2025年3月4日更新

第253回  運命の神秘<その1>

今回から数回にわたって、これまでとはちょっと毛色の違ったお話をしたいと思っています。
おそらく、私のコラムにご関心がある方にとっては、とても興味深い話題ではないかと思います。
それは、「運勢」(あるいは「運命」)についてのお話しです。

「運勢」と言えば、「今年は運が悪いな」あるいは
「毎年、年末になると悪いことが起きる」といった感じで、
人それぞれの「運勢」を連想する人は多いでしょう。
あるいは、多くの人々に当てはまる「運勢」として、
大殺界や厄年といった「人生の特定の時期にまつわる運」というものもあります。
今回は、そうした「個人的な運勢」ではなく、より多くの人々に関わる「運勢」についてお話します。
なぜこんな話をするかというと、
おそらく2025年は私たちの運命が大きく変わる年になり得ると考えられるためです。

基本的に、私は科学で証明できないものや理屈が通らないもの、
いわゆる「神秘」や「オカルト」の類は信じません。
宗教についても、基本は信じてはいません。
ただ、父が亡くなった時はお坊さんを呼びましたので、
仏教を信じているわけではないものの、仏教的な考え方や生活様式は受け入れていると思います。
また、人が言ったことを鵜呑みにして、簡単に信じるタイプではありません。
基本的に自分できちんと確認したもの、あるいは合理的に考えて筋道が通っていることを信じます。

しかしながら、私は人にはそれぞれの「運勢」あるいは「運命」は、確かに存在すると考えています。
これは、私が70年以上生きてきて、実に多くの人たちの人生を目の当たりにし、
またいろいろな経験をした結果として行き着いた結論です。

例を挙げましょう。
私が知っている、とても不思議なめぐりあわせを持つ人の話です。
理由はわからないのですが、その人が手掛けたビジネスが1つの成果を生み、
いよいよ世に出ようとする瞬間になると、決まって“恐慌”がやってくるのです。
90年のバブル崩壊、リーマンショックなど、
いずれも彼のビジネスがちょうど結実する時にやってきました。
私は、大変失礼ながらその人のビジネスがまとまり、完成したときをひそかに注目しています。
その年には、株が暴落する可能性があるからです。
おそらく、彼には何かしら背負った「運命」があるのだと思います。

「運勢」「運命」の延長線上の話として、
私は人間の死ぬ日までもが、実は「運命」で決まっていると思っています。
と言っても、いわゆる「背後霊」などのオカルト的な話ではありません。
あくまで自分の経験上、そう考えるのが「自然」で「理に適う」と思われるからです。
では、なぜ私がそう考えるに至ったのかについて、
そして人間の運勢とは何かについて話したいと思います。

子供の頃、不思議に思ったことがありました。それは、私の父のことです。
父は3年前に97歳で亡くなりました。
とにかくお酒が大好きで、それこそ「死ぬほど」の勢いで飲んでいたのに、
大病を患うこともなく大往生を遂げた人です。

そんな父は、特殊な運勢を持っていました。
とにかく、ものすごく“くじ運”が強かったのです。
たとえば、今から20数年前に家族でハワイ旅行に行った時のことです。
飛行機の機内でくじ引きがあり、その1等を父が当てたのです。
1等賞は、当時20万円も以上するハンディビデオカメラでした。
また、私が生まれる前、父の兄夫婦が東京の武蔵野市のとても良いところに土地を持っていました。
兄夫婦は決してお金持ちではなく、家もそんなに立派ではありませんでしたが、
庭付きで道路に面した一番好立地の都営住宅でした。
そんな場所を抽選で当てたのも、父でした。

他にも、父が国鉄に勤めていた頃、アメリカへ視察に行った時には、
少し空き時間ができたのでラスベガスに寄って一回だけスロットマシンをしたところ、
なんといきなり数百万円を当てたのです。
「これは珍しい!」と地元の新聞にも掲載されました。
ただ、父は豪快な男だったので、一緒に視察に行った20人ぐらいで一晩で全部飲んでしまったそうです。
昔の江戸っ子ですね。私なら半分使って半分貯めるでしょう。

こんな調子で、何しろくじを引かせたら、だいたい当たります。
当然、親戚の間でも父の強運は有名で、「くじがある時は父を行かせよう」と言われていたほどです。
幸か不幸か、私にはそういう「くじ運」は備わっていませんでしたので、
父の強運を見るにつけて、人には持って生まれた星というか、運勢があるのだなと思ったものです。

私が「運勢」についてより深く考えるようになったのは、
90年のバブルが崩壊から2年後くらい経ったときのことです。
当時私は30代で毎日新聞社のカメラマンをしていました。
バブル崩壊という巨大経済イベントをきっかけにして、私は経済のダイナミズムに興味を持ち、
仕事のかたわらで勉強や取材をしていました。

90年のバブル崩壊は、85年のプラザ合意後、
急速な円高を背景にして日本の株や不動産が実力以上に買われ過ぎ、
バブル状態となったのが原因でした。
バブル経済ですから、弾けるべくして弾けたというべきものなのですが、
しかしその崩壊のきっかけを演出し、
うまく利用して信じられないくらいボロ儲けをした人々がいたのです。

それは、現在は合併・吸収されてなくなりましたが、
アメリカのソロモン・ブラザーズというユダヤ系証券会社でした。
当時はまだあまり普及していなかったコンピュータを駆使して、日経平均の先物と現物株式、
さらにはオプションも使って儲けのカラクリを作り、莫大な利益を上げたのです。

ソロモン・ブラザーズは、89年の秋頃から年末にかけて日経平均の先物と
現物株を使って意図的に日経平均を持ち上げました。
それまで膨らんできた「日本株」という風船を、意図的にパンパンにまで膨らませたのです。
狙いはこうです。
日本の株、不動産は歴史的なバブルで、バブルはいずれ必ず弾けます。
そのタイミングさえわかれば、売りでボロ儲けできます。
ここまでは考え付く人もいそうですが、ただ、肝心の崩壊のタイミングは誰にもわかりません。
彼らが目を付けたのはそこでした。
「分からないなら、自分たちでタイミングを作ってしまおう」と考えたわけです。

彼らは、89年の夏頃には「バブルもほぼ最終局面だな」と思ったのでしょう。
そこで「もっと膨らませてから盛大に破裂させよう」と考えたのです。
当時、日経平均は単純平均で、ここが一つのカギでした。
225銘柄の中には大きい銘柄、トヨタのような凄まじい株数がある銘柄と、
逆に株数も少なく株価も低い小型銘柄があります。
トヨタを買って日経を上げるのは資金的に厳しいですが、
小さい銘柄を選んで集中的に買い進めれば、
日経平均を上げることはそれほど大きな資金がなくても可能でした。
彼らはその銘柄をコンピュータで弾き出し、その銘柄を買い進める一方で、
現物と日経平均先物に生じる価格差を利ザヤとして取り、
日経平均を持ち上げながら儲けるということをやっていました。
今にして思えば、実に凄まじい手口です。

そしてその年、12月29日の大引けには史上最高値の38,957円を付けました。
これは日本の株式史上の記録的な数字で、2024年2月になってようやくこの高値を更新しましたが、
それまで実に34年もかかりました。
ある意味では、それほどまでに「実力違い」の値が付いていたということでもあるわけです。

さて、年が明けて1990年1月2日、日本の株式市場はお休みで、
証券会社の人もすっかりお屠蘇気分でした。日本中も多幸感に包まれていました。
どれほどかというと、私が聞いた話では当時大卒で入社したての何も知らない女の子でも、
ボーナスの札束が立ったほどです。おそらく、ざっと200万円から300万円です。
ちなみに、100万円の束は立ちません。200万か300万円なら立ちますね。
また、どの会社もいまでは信じられないほどの大盤振る舞いで、経費は使い放題でした。
毎日最高級のうなぎをお昼に食べても、「もっと使え」と経理や上から言われたぐらいです。
まあ、そんな調子でやっていれば、バブルが弾けて会社が潰れても「さもありなん」という話ですね。

さて、正月2日に証券マンたちがお屠蘇気分で「今年は5万円だ!!」などと
景気のいいことを言っていた頃、ニューヨークでは為替がおかしくなり始めていました。
急速な円安が進んでいたのです。
前年には中曽根元総理のリクルート事件に関連した疑惑があり、
そうしたニュースがニューヨークで流れていたこともあるでしょう。
また、それまでの急速な円高の反動という側面もあったでしょうが、
私はそこになんらかの陰謀があったと読んでいます。
円安を誘導する情報を意図的に流し、為替も引き金にして、
三つ巴(株安、債券安、通貨安)で下げて行くというシナリオです。

たしかに、景気過熱感から金利は上昇(国債価格は下落)していましたが、
1月中旬にはソロモン・ブラザーズが国債のまとめ売りで国債下落に拍車をかけています。
最初の2ヵ月間、株、通貨、債券のいずれもじりじりと下げていましたが、
日本国内では「まだまだ日本は買い」という空気に満ちていました。
まさに「バブルに目がくらんだ人々」という有様ですね。
このタイミングで信用取引で全財産を入れた人もいたでしょうから、
そういう人は数年後にはこの世を去っていたことでしょう。

こうした状況で、ソロモン・ブラザーズはとにかく淡々とタイミングを狙っていました。
そして2月18日の衆議院総選挙で自民党が勝利し、
「材料出尽くし感」となった翌日から日本株の大暴落が始まると、
一気に売りが売りを呼ぶ展開になりました。
それまでバブルはパンパンに膨らんでいましたから、
まあ見事なまでに下がること下がること!
それは、いっそ清々しいほどの勢いでした。

2月26日には記録的暴落で日経平均はストップ安となりましたが、
ソロモンはこの時にも仕込んでおいたプット・オプション(日経平均を決まった価格で売る権利)で
莫大な利益を得ていたと言います。
結局、ソロモンは先物とオプションを駆使し、なんと3~4年で4兆円稼いだそうです。
日本市場からの4兆円です。
この時、ソロモン・ブラザーズが莫大な利益を得た壮大なカラクリを
記事にして暴いたのが私なのです。

私はこの大スクープをきっかけにして、その後経済ジャーナリストとしての活動を展開し、
独立して会社を興し、現在に至っています。
浅井隆の原点になった出来事ですが、
この取材のきっかけとなった出会いも一つの「運命」だったと思います。<以下、次号に続く>

 
人は抗えない運命と言うものを背負ってこの世に生を受けているように私は思っている。
天に生かされながら、しかしその中にあって自分で人生を切り拓きながら
様々なことと格闘して行くことが生きて行くということなのではないだろうか。
              (2025年1月 長野・須坂市にて)