天国と地獄
 

2024年10月29日更新

第247回  私が環境問題に力を入れる理由<上>

今回は、環境問題の話をしたいと思います。

実は、私は高校生の頃から環境問題にとても関心を持っていました。
まさに当時は水俣病などの公害問題が非常にクローズアップされていた頃です。
私は高校2年生の頃は板橋区に住んでいたのですが、
池袋の書店で公害に関する本を見て、とてもショックを受けました。
大げさではなく、このままだと人類は環境汚染で滅びてしまうのでは、と思ったほどです。
当時、私は早稲田大学の附属高等学院に通っていたので、
そのまま早稲田大学理工学部に進学する予定でした。
しかし、そうすると汚染物質をたれ流す側になってしまうと思い、
政治経済学部への進学を一大決心します。

早稲田大学付属高等学院からは、高校の一般的なテストを受けていれば、
基本的に早稲田大学の理工学部に進学できます。
そのため、およそ6割の生徒が理工学部に行きます。
しかし、環境問題に関心を抱いた私は、その道を自ら閉ざしました。
そして環境汚染を解決するため、政治家になろうと決心します。
そのためにも、政治経済学部に進学しようと思ったのです。
しかし、その場合は厳しい試験を受なければなりません。
当時の早稲田の政経のしかも政治学科は東大の法学部と同じくらい難しく、
入学できる人数が少なかったので、必死に勉強したことを思い出します。
父に言うと猛烈な反対に遭うことは必至であったため、父には内緒で政経の試験を受けました。
そして、無事に合格します(そのことを聞いた父は、開いた口が塞がらない状態でした)。

私の父は旧国鉄の技術者でしたので、
どうしても私を理工学部に入れたかったようで、とても残念がっていました。
というのも、私の父は新潟の出身で、子供の頃に家が破産し一家で東京に逃げてきました。
戦時中は海軍でゼロ戦の整備士をしていたのですが、小学校しか出ていません。
その反動もあって、自分の子供は理系の大学に入ってほしかったのでしょう。

大学1年生の頃、ローマクラブ(スイスのヴィンタートゥールに本部を置く
民間のシンクタンク)の報告書「成長の限界」が世界的に反響を呼びます。
人類が資源や環境を過剰に消費し、文明を崩壊させる可能性を示唆したこの報告書に、
私はまたしても大きなショックを受けます。
しかもその頃は「宇宙船地球号」という言葉
(地球上の資源の有限性や資源の適切な使用について語るため、
地球を閉じた宇宙船にたとえて使う言葉)が流行していました。
私も「宇宙船地球号を守る会」を早稲田大学の中に作っています。

その後、私は毎日新聞の写真部に就職し、大阪本社での勤務となりました。
記者に同行し写真を撮る傍ら、環境問題の調査も続けていたのですが、
淡路島(兵庫県)のモンキーセンター(ニホンザルを飼育する施設)で
“奇形猿”が増えているということがわかったのです。
現地に行ってみると、手や足が無かったり、肩や腕が半分ない猿などが山ほどいました。
私は、休みになるとモンキーセンターのセンター長のところへ頻繁に通い、
取材をしては毎日新聞に掲載するということを繰り返します。
社のデスクは、なぜこんな写真を新聞に載せなければいけないのか、と苛立っていました。
まさにこれが人類への警告だということが、なかなか理解されなかったのです。

 
私のジャーナリストとしての活動は、軍事関係の取材から始まったが、
最初に私をジャーナリズムへと向かわせたのは、他でもない環境問題だった。
                       (2024年8月 長野県にて)