天国と地獄
 

2022年7月20日更新

第202回 「坂の上の雲」について<その6>

私がとりわけ日露戦争に興味を持っている理由の一つに、
私の父親の父親(私のおじいさんになります)が“伝令”として
参加していたことがあると思います。
私が生まれる前に祖父は亡くなってしまったので、残念ながら会ったことはありません。

祖父の話の前に私の父親の話からしますと、
以前も少しコラムで書きましたように、
彼は太平洋戦争の時に海軍に従軍して戦争に参加しています。
ゼロ戦のパイロットを志願したのですが、試験に落ちたそうです。
過酷な体力テスト(遠心分離機みたいな装置で回され、
失神してから何秒で気が戻るかというようなテストだったそうです)
に合格できなかったようですが、結果的にそのことで命拾いしたとも言えます。
パイロットになっていたら、きっと戦闘で死んでいたことでしょう。

父は「ゼロ戦に関わりたい」という強い思いから、整備兵になりました。
ちなみに、私たちは「ゼロ戦」と呼んでいますが、
当時の呼称はゼロ戦ではありませんでした。
米軍が「ゼロファイター」と呼んでいたことから、
戦後に「ゼロ戦」が定着したのです。
戦時中は、「零(れい)戦」と呼ばれていました。
戦時中父は、整備兵として台湾の前線にいました。
そのほか、愛知県の岡崎航空隊、横須賀基地、
千葉の木更津航空隊でも勤務しています。
父は、小学校すら卒業していなかったのですが、
人柄や運の良さもあってか、上官に気に入られていたといいます。

父の遠い親戚に、“小池さん”という人がいました。
小池さんは海軍の中将(大将の次に偉い人)で、
しかも軍法会議における法務官だったのです。
隊内で違反を犯した者は軍法会議にかけられ、最悪の場合は死刑になりました。
軍隊内では、よくトラブルがあったそうなのです。
上官を殴ってしまったとか、あるいは乗船の日に帰ってこなかったとか、
多くの軍規違反がありました。

あるとき、上官が父親のもとを訪ねて来て、
いつもはとても怖い鬼軍曹がとても優しい声でこう聞いてきたと言います。
「あのな関君、ひょっとして小池中将殿はお前の親戚だよな?」と。
父親はその当時、小池中将と親戚関係ということを知らず、
「え? 違いますよ」と言ったそうです。
ところが上官は、その辺の事情をすでに調べていたので、
「いや、そんなことはない!」と言いながら、
「問題を起こしてしまったので、減刑してもらえるよう、
関君から小池中将に是非一筆、お願いしたい」と依頼してきました。

その後、そのことを聞きつけた他の上官からも
“一筆”を依頼されるようになったそうです(苦笑)。
こうしたこともあって、父は上官からも大事にされたのではないでしょうか。
軍隊の中将と言えば、軍曹や少尉などからしたら雲の上の人物です。
簡単には会えませんからね。

父は千葉の木更津航空隊で終戦を迎えるのですが、
皆が打ちひしがれている中、一部の司令官たちは機敏に金品や物資を確保して、
「退職金だ!」と言って皆に配ってくれたようです。
それを見た父は、「どんなときもたくましい人たちがいるもんだな」と、
とても感心したと戦後によく話してくれました。

ところで、私の祖父はもともとは工場を経営する新潟のお金持ちでした。
ところが人の借金の保証人になっていたことから、
昭和恐慌で工場を潰してしまったそうなのです。
すると、親戚中から「借金は肩代わりしてやるからお前は出て行け!」と言われ
逃げるように東京へ行き、そこから貧乏な暮らしが続いていました。

父が終戦直後に“退職金”をもらったと書きましたが、
それは現在のお金で3,000~4,000万円くらいの金額であったそうで、
家が建つほどの額だったと言います。
ですから、祖父は喜びながら「良雄(私の父の名)! これで関家が再興できるぞ!」
と言っていたそうです。

しかしその半年後、預金封鎖と新円切換、そしてハイパーインフレが起きる中で、
その退職金はみるみるうちに価値を失いました。
それが、よほどショックだったのでしょう。
祖父はそれから時を置かずして亡くなりました。
私は祖父に会ったことはありませんが、
国家破産によって祖父が亡くなったかと思うと、
何かの因縁を感じてしまいます。
                 <以下、次号に続く>

私の祖父・父も終戦から来た国家破産時の預金封鎖と新円切換、
そしてハイパーインフレで資産を失っていた。
その時が来ると、誰も逃げることができず被害を受けるのが、
国家破産の恐ろしいところである。
              (2022年4月ニューヨークにて)