天国と地獄
 

2022年6月20日更新

第200回 「坂の上の雲」について<その4>

日露戦争当時は、政治家たちも優れていましたが軍人も優秀でした。
とりわけ、陸軍のトップは傑物揃いでした。
大山巌という人物が満州軍の総司令官を務めていたのですが、
彼はなんと西郷隆盛の従兄弟だったのです。顔も似ていたと言われています。
明治維新の直接の原因となった戊辰戦争にも参加しています。

その大山の下で総参謀長を務めたのが児玉源太郎ですが、彼は長州の出身です。
児玉は、戊辰戦争のあとに明治維新政府に対して西郷隆盛が蜂起した西南戦争で
政府側として参加しています。
熊本城に籠城して西郷軍と戦ったのですが、このとき一緒に戦ったのが乃木希典、
のちに日露戦争では旅順攻囲戦を勝利に導き「軍神」とたたえられた人物です。

この熊本城の籠城戦では、政府軍は精強で知られる“薩摩武士団”を
一兵たりとも寄せ付けなかったという、素晴らしい戦果を挙げています。
もちろん、熊本城のすごさがあり、
西郷軍には大砲などの近代兵器に乏しかったなどの事情もありますが、
児玉源太郎たち軍師の活躍が大きかったこともあるのでしょう。
維新前後の頃から、すでに傑物として活躍していたということですね。

彼らに対する歴史的な評価は様々ではありますが、
ただ彼らは自らの功名心や野心から戦争に取り組んだのではなく、
ロシアに対する恐怖心から現実的な落としどころを必死で模索し、
それが戦争だったというのは確かです。
当時、「恐露病」という言葉がありました。
ロシアに対する恐怖に囚われ、
いつか日本はロシアに攻めつくされるのではないかという対外危機意識のことですが、
政治家や軍部もトップに行くほどその意識は強くあったようです。

なにしろ彼らの多くが、明治維新の前後には国を揺るがす現場で
死ぬほどの目に遭いながら海外列強と渡り歩いてきた経験を持っています。
大した高等教育などもない中で、現場を見ながら学び、
いくつもの戦争を目の当たりにして、生き残る術を自ら切り開いてきた人たちです。
そんな彼らが「絶対ロシアに勝てるはずがない、でも戦わなければならない」という状況で、
なんとか戦況を6対4に持ち込んだら、
即座にアメリカに講和に入ってもらう、という方法を考えたのです。

しかし、その必死の策にはさらに厳しい条件がありました。
前述した通り、貧弱な財政でそれをやりくりしなければならなかったのです。
そこで登場したのが高橋是清です。
当時、彼は日銀副総裁になっており、日露戦争時の活躍から後に首相、
大蔵大臣を歴任する傑物でした。
最後は2.26事件で暗殺されてしまいますが、
明治から昭和初期の偉人の一人といってよいでしょう。

その高橋是清は、日露戦争にあたって資金調達のためにアメリカに行ったのですが、
先述の通り弱小日本が大帝国ロシアを相手取るわけですから、
誰にも相手にされるはずがありません。
当然、イギリスに行っても全然相手にされないのですが、
この後、彼は偶然の出会いを果たします。
相手はユダヤ人銀行家のジェイコブ・シフ、
しかも、向こうから高橋に近寄ってきたのです。

にわかには信じがたい話なのですが、
日本が発行する外債(外国向けに売る国債)の6割位を引き受ける、と言ってきたのです。
現在価値で果たして何千億か何兆になるかもわかりません。
当然、高橋も「えっ!?」と非常に驚くのですが、
理由を訊ねると「ロシアでユダヤ人がたくさん虐殺されている」
「日本が勝てなくてもいい。日本が戦ってくれることでロシアのユダヤ人が救われる」
というのです。
「あるいはロシアで革命でも起これば、救われる」と言って、お金を貸すというのです。

こんな“渡りに船”の話にたどり着けるとは、
高橋是清はなんとも運の良い男と言えるでしょう。
実際、本人もずっと「俺は運が良い。運が良い」と言っていたらしいですが、
強運を手繰り寄せる人間は、常に前向きに自分の運を信じているものなのでしょう。

高橋是清の強運もあって、なんとか資金をぎりぎり工面した日本は、
いよいよロシアとの戦争に突入します。
ここで面白いのは、海軍と陸軍の違いです。
海軍というのは、私の父親も海軍にいたのでいろいろ話を聞いているのですが、
すごく開かれていて先進的で合理主義な組織だったといいます。

父親が言うには、海軍では必ずナイフとフォークを使って
洋食を食べる訓練をさせられたそうです。
太平洋戦争の最中、国民がみな「鬼畜米英」などと言っていた時代ですから、
普通だったらあり得ないですよね。
当時は野球にしても、「ピッチャー」ではなく「投手」と呼ぶなど、
徹底的に敵性国家のものを排除していたわけです。

そこで疑問に思った父親は、上官に訊ねたらしいのです。
上官の答えはこうでした。
「何を言っているんだ。日本が勝って、海外の白人の国に行った時、
洋食もうまく食べられなかったら、あいつらに馬鹿にされるだろう!」
――そういう意味で、徹底的に合理主義だったのです。
その点、陸軍は全く違いました。徹頭徹尾、鬼畜米英です。
非常に硬直した、閉じた組織文化で、上官の命令は非合理でも絶対というところでした。

面白いことに、こうした文化的な違いは明治維新にルーツがあります。
海軍というのは、この本の日露戦争のところを読むとわかるのですが、
旧薩摩の人間が主導したのです。トップのほとんどが薩摩です。
そして、それに対して陸軍は長州が主導しています。
よく軍隊用語で「○○であります!」と言うのを聞きますよね。
あれは実は、山口(長州)の方言なのです。
陸軍では山縣有朋という長州人が明治末期まで君臨していたのですが、
その過程で権威主義的で硬直的な組織文化が根付き、合理性に乏しくなっても行ったのです。

さて、実際に日露戦争が始まってみると、
朝鮮半島への上陸、鴨緑江会戦、旅順要塞攻囲戦と堅調に戦いを進め、
最終的には中国本土の遼陽や奉天でも開戦するのですが、
そのめざましい戦果とは裏腹に、
陸軍は常に弾丸が不足していてギリギリの状態だったそうです。

陸軍のやり方というか考え方の問題なのですが、
とにかく精神論で押し切る、という思想が徹底していたのです。
たとえば、大砲一門に月100発の弾丸を補給するとか、
そういうことが平気で行なわれていました。
100発なんて、下手をするとたった20分で打ち尽くしてしまいます。
敵が本気で攻め込んできたら、そんな大砲などあっという間に無力化されるでしょう。
こんな非現実的な計算で、弾丸を配備していたそうです。
弾丸の製造能力もその程度だったということもあるでしょう。
「武器に頼らず、大和魂と人数で局面を打開する」という、
なんとも非合理的なやり方だったわけです。

ところが海軍は、開戦前から有り余る弾丸を、しかも全て最新鋭のものを用意しました。
戦艦に関しても、当時一番新しい、一番性能の良い戦艦にして、
しかもスピードも全部揃えたのです。
実は船の戦いでは、一艦でも遅いと他の艦もそれに合わせる必要があります。
なるべく早い艦で統一するというのは、極めて合理的なやり方なのです。
その点、ロシアの艦隊はあまり練られていませんでした。
スピードももちろん違うし、艦船もいろいろなタイプがぐちゃぐちゃに混在しています。
ロシアが日本海海戦で大敗北したのは、こうした理由もあったわけですが、
逆に言えば海軍の合理主義は、
一時的にせよ大帝国に伍する程に力を発揮したということでしょう。

この辺は、やっぱり薩摩人ゆえなのかなぁ、と感じてしまいます。
陸軍を見ると、やはり長州人の気質というか、そういうものを感じてしまいます。
吉田松陰を見てもわかる通り、精神論とか主義主張といったものには優れているとは思うのですが、
それが陸軍の伝統と結びついた結果、精神論的な組織になってしまったのでしょう。
これがのちに陸軍の暴走へとつながり、太平洋戦争という無謀な戦いに突入し、
その結果、日本は大きな代償を払わされることになるのです。
陸軍は、自らが滅びるまでその体質を変えられなかったのです。
<以下、次号に続く>

海軍と陸軍では同じ軍隊でもその個性は全く違う。
そして戦争で活躍したと言われる人についても、
後世での“伝説”と実際が違うことはよくあることだ。
戦いは起こさないに越したことがないのは、
いつの時代にも言えることである。
     (2022年5月 日光東照宮にて)