天国と地獄
 

2022年2月4日更新

第191回 食の思い出<名古屋めしと家康の教訓>

今回は「名古屋の食」についてお話したいと思います。
昨年10月、毎年恒例の「浅井隆 名古屋講演会」があり、名古屋へ向かいました。
普段は当日入りするのですが、その時は太平洋沖をかなり大きな台風が通るということで、
前日に名古屋へ入ることにしました。

せっかく名古屋に前泊するのですから、
名古屋名物の美味しいものが食べたいと思い、店を探しました。
名古屋で一番の繁華街「栄」(最近は名駅周辺の発展もすごいですね)という、
東京で言えば銀座や歌舞伎町という感じでしょうか、そこに良さそうなお店がありました。
『ひつまぶし名古屋 備長』というお店です。
そこで、備長炭で焼く「ひつまぶし」をいただきました。

失礼な話ですが、私はいわゆる「名古屋めし」にちょっと偏見を持っていまして、
たとえば「ひつまぶし」については、使っているのは良い鰻ではなく、
ちょっと安い鰻に濃い味付けをして、蒲焼を細かく刻んでご飯に混ぜたもの
程度に考えていたのです。それが今回、間違いであることに気づきました。
以前、熱田神宮に近い「ひつまぶし」の有名店でも食べたこともあるのですが、
そこよりも美味しいと感じました。
「ひつまぶしは、こんなにも美味しいんだ!」とあらためて見直しました。

ひつまぶしがこんなにおいしいとは!

西日本で言うと、福岡は「鮮魚」が有名で大阪には「食道楽」という文化があり、
京都には懐石や割烹などが根付いています。
それに対し、「名古屋めし」とは言うものの、
「名古屋に美味しい物はない!」と私は感じていましたが、そんなことはありませんね。
名古屋にもとても美味しいもの多くあるのだな、と感じました。

翌朝、これまたせっかくなので、
名古屋で有名な「喫茶店のモーニング」を食べたいと思い、面白い喫茶店を探しました。
すると、名古屋駅から徒歩20分くらいのところに、
「ブチョー」(KAKO  BUCYO COFFEE)という面白い名の喫茶店を見つけました。
名古屋は小倉あんをトーストに挟んだりする「小倉トースト」(小倉サンド)が有名ですが、
それが美味しそうだったので「じゃあ、行ってみよう!」となったのです。

そのお店は、高速道路の脇の殺風景なところにあったのですが、
中に入ってみてびっくりしました。
モダンレトロ調の独特な内装で、不思議な雰囲気があるのです。
オーナーが、長い時間をかけて世界中からいろいろなものを集めたのではないでしょうか。
さらにびっくりしたのは、コロナ禍にも関わらず
(行った日は緊急事態宣言が明けた翌日でした)お客さんがいっぱいで、
外まで並んでいました。
「今時、お客さんが並ぶ喫茶店があるんだな」と感心しました。

モーニングを食べに行った喫茶店の様子。コロナ禍でも大繁盛していた。

私はコーヒーと「カイザー」(カイザーというのはドイツ語で“皇帝”という意味
ですけれども、ドイツのパンだったのかもしれません)というパンを焼いて、
そこに小倉あんをびっしりのせた“小倉カイザー”を注文しました
(そのお店で撮った写真を載せておきます)。
小倉カイザーは700~800円しましたから、安くはありませんでした。
物価が違いますので名古屋の700~800円は、東京でいうと1,000円ほどの価値です。
それなのにお客さん皆さんがモーニングを注文していましたから、
やはりおいしくて人気があるのでしょう。
私はコーヒー好きで、コーヒーに関してはうるさい方だと自負していますが、
とても美味しかったです。

私は「やはり、“ものはやりよう”だな」とつくづく思いました。
コロナ禍で多くの飲食店が苦しむ中、
少なくともあの店は困っている様子は感じられませんでした。
たまたま、二人連れの若い女性が横に座っていたので話しかけてみたのですが、
「他県から来た」と言うのです。
観光で名古屋へ来た人が訪れるくらい、この店は人気なのだなと驚きました。
今はネットで下調べする人が多いでしょうから、この店はネット上でも評判なのでしょうね。
これは、何についても言えることですが、コロナだからと言って悲観的になるのではなく、
「ものはやりよう」だと前向きに考えた方がよいと改めて感じました。

講演会も非常に盛況でした。最近は、大阪より名古屋の方が人が集まります。
私が思うに、名古屋の人というのは良い意味で人懐っこい人が多いです。
会員様でも本当に親しくしてくださる方が多く、嬉しい限りです。
私にとって名古屋というのは、元気をくださるとても素敵な場所です。

そして、何と言っても名古屋といえば戦国時代から江戸時代にかけての
三英傑を輩出したことでしょう。三傑の全員が名古屋周辺の出身という、
まさに奇跡の地なのですね。
三傑のうち、まずは織田信長が台頭しましたが、彼は完全な天下統一は果たせませんでした。
明智光秀がなぜ、「本能寺の変」を起こしたかについては
いまだにわからない点が多々ありますが、天下統一を目前にやられてしまいます。
その後を豊臣秀吉が引き継いで天下統一を果たし、
さらにその後を徳川家康が乗っ取ったという具合です。
一般的には、家康が生まれたのは名古屋近辺だと思われがちですが、
名古屋の人からすると「あれは、岡崎の人だ」と言いますね。
三河(現在の愛知県東部)と尾張(現在の愛知県西部)は、
元々は違う国だったのです。ですから、方言も気性も違います。
ちなみに、名古屋は美濃(岐阜)と言葉と性格で似通っているとされています。

三河の岡崎に「八丁味噌」があるのはよく知られていますが、
蔵元は日本に2つしかありません。
そこは、今も昔ながらの製法を大事にしています。
実は、その八丁味噌(言わば熟成された大豆)が脳に良いのではないかという説があります。
すなわち「八丁味噌」の存在が天下の三英傑を誕生させた、という説です。
その真偽は別として、私も八丁味噌は本当に体に良いと思っています。
お味噌は日本人の原点ですし、大豆製品かつ乳酸菌を含む発酵食品ですので
免疫力向上にも効果があります。

三英傑は、それぞれ個性的です。
彼らの性格をホトトギスの鳴かせ方に喩えた有名な川柳がありますね。
織田信長が「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」。
この句は「鳴かないなら殺してしまおう」という信長の短気さと気難しさを象徴しています。
次の豊臣秀吉は「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」。
こちらは「いろいろ工夫をして鳴かせる」という、
秀吉の好奇心旺盛で人たらしぶりを表現していますよね。
そして、最後の徳川家康は二人とは全く違うのです。
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」。
この句は徳川家康の忍耐強さをよく表しています。
本当に、上手く喩えていますね。

私は、家康に対してすごく関心があるのですが、
尊敬すると同時に歴史上で最も嫌いな人物でもあります。
なぜかと言うと、秀吉が生きている間は散々彼にゴマをすった挙句、
秀吉が死んだとたんに手のひらを返し、陰謀を巡らせて天下を奪ってしまうのですから。
悪人と言えば悪人ですよね。

その家康は、異常なほど健康に気をつかっていたと言われています。
彼は自分の跡継ぎを三男の秀忠とし、そのため秀忠が二代将軍になったのですが、
秀忠は“うつけ”だったと言われています。
要は、あまり利口でないというか、出来があまりよくない息子だったのです。
そのため、自分が生きている間に豊臣秀吉の子・秀頼を攻め滅ぼし、
太平の世を築いてから秀忠に引き継がせようとしました。

そのためには、長生きをしなければなりません。
そこで徹底して長寿の研究をしたと言われています。
医者から多くを勉強し、自分でも研究して独自の漢方薬を調合していました。
薬作りは家康のライフワークとなり、舟形の溝を彫った碾(ひきうす)と、
軸の付いた車輪状のひき具「薬研車」からなる「薬研」(やげん)で、
薬をガリガリとすり潰して粉末にするというやり方で
独自の漢方を作っていたとされています。

その家康は、真夏でも温かいうどんを食べていたようです。
というのも、家康はとりわけ「常に温かいものを食す」ことを気にかけていました。
冷たいものは胃腸に悪いと考え、たとえ戦場であっても携帯用の干し飯を火であぶって食べる、
という徹底ぶりだったと言います。
温かいうどんも好物のひとつでした。
消化吸収を考えて、真夏でも熱いうどんを好んだのです。
家康が「関ヶ原」で勝利したのは59歳、豊臣氏を滅ぼしたのは74歳のときのことでした。

私も家康にならって独自のサプリを作ろうと、「若天」という会社を作りました。
会員様限定で、本当に良いサプリや「温熱療法」を皆さんに紹介しています。
歴史上の人物を良い教訓とし、しかもそれを実行する、ということが大切だと考えています。
家康を見習い、徹底して健康に気をつかうことで元気に長生きして、
何か世の中に良い影響を与える、というのが私の目標です。

というわけで、尾張(おわり)名古屋でちょうど終わりの締めがよいところで、
今回は筆を置きたいと思います。

どんな状況でも「ものはやりよう」だ。
おいしいものを提供すれば、人はその情報を聞きつけて集まるものなのだ。
おいしいものを食べて健康に生きられたなら、これに越したことはない。
  (2021年10月 愛知県名古屋市にて)
 

※浅井隆のコラム「天国と地獄」は、今月より月2回(毎月5日頃と20日頃)の更新となります。
更新日が変わりますのでご注意ください。