皆さん、こんにちは。
現在、ニュージーランドでこのコラムを書いています(3月3日に無事に帰国しています)。
今回も引き続き、「この国のかたち」について述べたいと思います。
私は最近、ある意見に衝撃を受けました。
それは2011年の8月にある雑誌に掲載されたもので、
その当時は英タイムズ紙で東京支局長を務めていた
リチャード・ロイド・パリー氏へのインタビューです。
最近それを読み返したのですが、私は改めてすごい衝撃を受けました。
タイトルは「政治の荒廃は『民度低下』の裏返し」で、彼は次のように話しました――
「日本のトップのリーダーシップが嘆かわしいほど欠如しているが、
それは日本の国民の民度が落ちているということの裏返しでもあるのではないか。
結局、選挙民こそが日本の政治をダメにした張本人といえる」
「日本の国民は民主主義を使いこなしているとは到底いえない。
大統領制の導入など、外国の政治システムを取り入れるアイディアも時に浮上するが、
結果は同じだろう。問題は政治システムにあるのではなく、資質のない政治家と、
そんな彼らを選び続ける国民の民度にこそあるからだ」。
安倍元首相は、暴力というあってはならない悲惨な形でお亡くなりになられました。
その死には、心から哀悼の意を表します。
一方で私は、「アベノミクス」が非常に愚かな政策であったと総括しています。
アベノミクスは金融緩和と財政出動、さらには構造改革の三本柱を看板にした政策でしたが、
結局のところ異次元と称される金融緩和をずるずると続けたため、
財政規律に著しい弛緩をもたらしました。
コロナ禍を経てもなお(金融緩和の)蛇口を閉めずにそのまま放置しているのは、
先進国で日本だけでしょう。また、国民もそれを受け入れています。
低金利とバラマキを歓迎しているのです。
日本政府には本来、お金は1円もありません。
すべて私たちの“血税”で成り立っているのです。
ですから、税収の範囲内で運営するのが本来は当り前の姿と言えます。
もちろん、国家には信用力が備わっていますので、
国債を発行して(借金をして)運営することもできます。
しかし、それはきちんと返済されなければなりません。
とりわけ無尽蔵に借金を繰り返す現在の日本の姿は、過去の破綻国家のそれに重なります。
このままでは、少なくともひどいインフレに襲われるでしょう。
安倍さんは、本質的に経済を理解していなかったのでしょう。
だからこそ、(政治家にとって)聞こえの良いアイディアばかり進言してくるブレーンで
周囲を固めたのではないでしょうか。
時には“イケイケドンドン”でやることも必要です。
しかし、いつかはその蛇口を閉めなければなりません。
その後始末を日銀の植田総裁や岸田首相が担うはずですが、
とりわけ岸田さんは安倍さん以上にアクセルをふかしているとしか私には思えません。
また、日銀の植田総裁も本音では異常な政策から脱却したいとも思っているでしょうが、
深刻な債務問題が横たわっているため自由に動くことができないのだと私には目には映ります。
私は、早稲田大学の政治経済学部で政治思想を学びました。
そこで古代ギリシャで理想とされた「哲人政治」について知ります。
ソクラテスの弟子にしてアリストテレスの師に当たる古代ギリシャの哲学者プラトンは、
あらゆる政治形態の理想像として哲人政治を提唱しました。
この哲人政治とは、哲人王を統治者とする独裁政治体制を指します。
なぜプラトンは哲人政治を志向したかというと、
「民主政治はその自浄力を失ったとき衆愚政治と化すため、
独裁制により強大な権力を為政者に付与し、意志決定を速やかに行なうことで、
強力な改革を行なうことが民衆から待望されるようになる」との考えからです。
歴史を振り返っても、民主主義というのは往々にして堕落し、
ついには「衆愚政治」と化しています。
すなわち、愚かな大衆が愚かな政治家を選び、バラマキを求めて最後は亡んで行くのです。
実際、そのギリシャも古代から幾度となく、衆愚政治と財政破綻を繰り返しています。
現代の日本も、まさにそれと同じ道を歩んでいるとしか私には思えません。
リチャード・ロイド・パリー氏が言った、
「問題は政治システムにあるのではなく、資質のない政治家と、
そんな彼らを選び続ける国民の民度にこそあるからだ」という言葉に改めて衝撃を受けたのです。
私が前にこのコラムで提唱した「将来の日本をどうするべきかという指針」も大事ですが、
“民度の向上”が急務です。急務と言えども、民度の向上は一夜にはなり得ません。
やはり、教育こそがすべてではないでしょうか。
私はメディアにも多くの問題があると思っています。
前出のパリー氏はこうも言っています――
「メディアの質こそ国民のレベルの反映でもあり、
批判精神が欠如した日本のメディアは国民の姿勢を如実に反映している。
政治家もメディアや国民を甘く見ており、
何をやっても逃げ切ることができると高をくくっている」と。
今回の自民党のパーティー券の一件がまさにそうではないでしょうか。
政治家は訴追されず会計責任者だけが捕まるという、ここ日本ではお馴染みの構図です。
政治家は神妙な顔で記者会見し、「大変申し訳ない」と言いつつ、
裏ではほくそ笑んでいるに違いありません。
パリー氏はさらにこう言っています――
「英国ではジャーナリストは権力の座にいる政治家や経営者を
狼狽させることを義務だと思っており、
調査報道によって彼らがidiot(間抜け)であることを報道で示せれば成功となる。
日本のメディアはとにかく受け身だ」と。
基本的に大手メディアの記者は「記者クラブ」
(公的機関や業界団体などの各組織の継続取材を目的とするために
大手メディアが中心となって構成されている任意組織)に守られており、
そこで報道官が言ったことを横並びで発信することがほとんどです。
私が毎日新聞社を辞めた理由は、まさにここにあります。
これは、「もはやジャーナリズムではない」と判断しました。
マスコミは確固とした権力であり、政治家との癒着も半ば公然と行なわれています。
そこに「批判精神」など宿るものでしょうか。
だから私は、自分で好き勝手に書ける出版社を作りました。
その日からずっと、「どうやったらこの日本を改革できるのか」を考え続けています。
歳をとってもその気持ちは変わりません。
むしろ、最近の体たらくで危機感はさらに募っています。
パリー氏は最後にこう締めくくっています――
「国民自体の意識が変わらなければ、政治家の資質など変わるはずがない。
長い歴史の中で形成された気質を変えるには相当な時間を要するが、
結局は、その長く緩慢な変化を耐え忍び、
あらゆる啓蒙活動を通じて民度の向上を図るしか手はない」と。
もし、皆さんの中にも改革へのアイディアなどがございましたらお知らせください。
また「こういう面白い人物がいる!」という話があれば、ご紹介いただければ幸いです。
国民総出で改革に挑まなければ、この国に未来はありません。
ご協力、どうかよろしくお願い致します。 |