数回、昨年末亡くなった父親について述べさせていただきました。
今回はその前に連載していた「現代の危機」についての話に戻したいと思います。
現在、私たちが生きているこの21世紀前半という時代の中で一番大切だとも言える、
地政学的あるいは世界の大きな国同士の関係において、
日本が今どういう立場に置かれそしてどういう方向に向かっているのかということを、
かなり大きな視点から見てみたいと思います。
こういう話を歴史的な観点からは日本人はしてきていないように思いますので、
ここで皆さんに問題提起する意味もあります。
現在、アメリカと中国が「新しい冷戦」という状況に突入していますが、
1990年以前は「米ソ冷戦」がありました。
太平洋戦争後、アメリカとソ連という核兵器を保有する二つの大国は、
核戦争寸前まで行ったこともありました。
キューバ危機や朝鮮戦争、ベトナム戦争、そこには中国の影(当時は中共と言っていました)
もありましたが、アメリカとソ連の代理戦争という形で世界は緊張をはらんできました。
ひるがえって現在に戻りますと、
ロシアによるウクライナ侵攻という非常に重大な問題が生じましたが、
よく見るとロシアが世界の超大国としての地位からすでに滑り落ちていることがわかります。
今回の戦争は、その証拠をまざまざと見せつけたわけです。
ウクライナには、私も一度だけボランティア活動の一環として10年ほど前に訪れたことがあります。
私は「一般社団法人 世界の子供たちのために」通称「CheFuKo(チェフコ)」
というボランティア団体の最高顧問をしています。
チェルノブイリの「Che」、福島の「Fu」、そして子供の「Ko」、
それらの頭文字を合わせて「CheFuKo(チェフコ)」と私が名付けました。
あの2011年の福島第一原発事故のあと、
同じく原発事故を経験したチェルノブイリの人たちと子供たちにも
私たちは目を向けなければいけないと思い、
福島とチェルノブイリの子供たちに焦点を当て、
彼らのために少しでも何かできないかということで今から10年ほど前にウクライナを訪れたのです。
首都のキーウから入り、そこから西へ約100キロのところにある「ジトーミル」という街まで行きました。
今、戦時下にあってミサイル攻撃を受けたりしていますが、
そこまで行って子供たちと会ってきたのです。非常に素晴らしい思い出です。
ただ、こう言っては失礼かもしれませんが、ウクライナという国はなにしろ貧しい国でした。
当時の首都キーウの空港は、電気もところどころしか点いていませんでした。
随分前にソ連が崩壊した直後のモスクワ空港を訪れた時も、空港の電気はほとんど点いておらず、
レストランでランチを頼んだ際に出てきたハムは、まるで「ハムのミイラ」のようでした。
もう腐る寸前で、恐らく冷蔵庫にも入っておらず食べたら病気になりそうなひどい品物でした。
そして、10年前に訪れたウクライナはそのソ連の状況とほぼ一緒でした。
空港の両替所もあるにはあるのですが、首都のある国際空港のものとは思えないくらいで、
30年前に行ったミャンマーの空港より活気がない感じでした。
物価は日本の10分の1程度で、今でもおそらく大卒の初任給が3万円位ではないでしょうか。
本当に良い思い出だったのは、小学校、中学校を見学させてもらった時のことです。
学校をあげて大歓迎してくれました。
子供たちと、本当に親しくなることができました。
小学校の体育館に何百人もの子供たちが集まってくれて、お菓子や文房具などをあげたのです。
その時の子供たちの発するエネルギーや明るさ、
そして「福島は大丈夫なのか?」と心配してくれる優しさに、心打たれました。
国はこんなに貧しいのに、その子供たちの人間性の深さに驚嘆し、一生の思い出になりました。
その時私は、「この子供たちを一生支援しよう」と決意したのです。
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