天国と地獄
 

2022年5月6日更新

第197回 「坂の上の雲」について<その1>

今回からは、私が最近よく読んでいる本について話をしたいと思います。
私自身、出版社を経営し、多くの本を出版してきましたが、
「本を書く」というのはそう容易なことではありません。
自分がそれまでの人生で得た経験、読んできた本、様々な最新の情報、
獲得した知識や知恵など、ありとあらゆるものを総動員する必要があるからです。

そして、そうした様々な情報を一つの形にまとめるためには、
自分の根底にある人生観や哲学などがもっとも重要となります。
「本を書く」という仕事は、ある意味で「自分そのもの」を絞り出す作業と言えるわけです。
そうした仕事をする上で、本を読むことは極めて重要なことです。
どんな本を読むか、それはどんな本を書くのかに大きく影響します。

私に最大の影響を与え、今も与え続けている本といえば、
やはり司馬遼太郎の本だと思います。
司馬遼太郎の本は、幕末から明治維新後を扱ったものが有名ですね。
明治維新前後を扱ったものでは、代表作とも言うべき『竜馬が行く』や『花神』が、
また明治維新後の話で言えば『翔ぶが如く』が、
日清、日露戦争期にかけては『坂の上の雲』があります。
これらはごく一部で、幕末から明治を描いた本は他にもたくさんあります。

しかし、司馬遼太郎には幕末・明治だけでなく、
実は戦国時代を扱った作品も結構あるのです。
『関ヶ原』や『国盗り物語』『城塞』『新史 太閤記』などです。
さらに、なんと中国ものもあります。『項羽と劉邦』、これも代表作の一つですね。
また、長編だけでなく『この国のかたち』という短編もあります。
もちろん、これ以外にも司馬遼太郎はたくさん書いているのですが、
私はここに挙げたものを何度も何度も読んでいます。
読み返すごとに新たな気づきがあり、
そして登場人物たちと司馬遼太郎から大きなエネルギーをもらって、
「よし、自分も世のため人のためにコトを為そう!」と元気になれるからです。

私も、昔は様々な本を読んだのですが、今ではなかなかそれもできません。
ご存じかもしれませんが、現在私は会社を何社も経営しており、
加えて助言をしたり顧問をしている会社もあります。
そのため、たとえば土日や夏休みなどの休日も関係なく、24時間、
それこそ寝ている時ですら経営のことや次の本の事など様々なことに考えを巡らせてしまい、
なかなかゆっくりと本を読むことができないのです。
それでも本は大好きですし、とりわけ歴史は特別に大好きなので、
寸暇を惜しんで司馬遼太郎の本を中心に読んでいるというわけです。

その中で、今回から数回に亘り『坂の上の雲』という本を取り上げたいと思います。
今から10年位前でしょうか、NHKでドラマにもなりましたのでご存じの方も多いことでしょう。
非常にお金も手間もかけられた長編ドラマで、DVDも出ています。
私もそれを持っていて、今でもたまに見ています。
この話は、それほどまでに魅力的なものなのです。

皆さんにも、ぜひこの『坂の上の雲』は読んでいただきたいと思います。
ただし、はじめにひとつだけ忠告をしておくと、
実はこの本は結構、読み進めるのは大変です。
軍事の話が多く出てくるため、読んだことがない人にとっては取り掛かりにくく、
頭が痛くなる部分があるかもしれません。
それでも読むべき価値の大きさは、計り知れないものがあります。
今の日本がどうやって出来上がったのか、そして明治維新とは何だったのか。
その後に続いた明治という時代は何だったのか、
そこに生きた人々はどのようなものだったのか。

日本は明治時代の躍進によって、アジアの周辺諸国に先駆けて先進国に上り詰めました。
まさに「耀ける時代」を過ごしたわけです。
最近はあまり聞きませんが、大正、昭和と時代が下るにつれ、
「明治は遠くなりにけり」という言葉がよく使われました。
後世の日本人は、明治と言う時代が日本にとっての黄金時代だったことを、
憧れと共にそう表現したわけですが、その理由が『坂の上の雲』を読むとよくわかります。

『坂の上の雲』は、日露戦争を核として描かれています。
もちろん、日清戦争の話も出てはきますが、あくまでも物語の中心は日露戦争です。
日本が欧米列強と対峙する時代に、当時の人々はどう生きたのか。
戦争と人の生きざまを通して、明治という時代を描いているわけです。

日露戦争というのは、誤解を恐れず断言すれば明治維新の完結部、総仕上げです。
どういうことかというと、江戸幕府の終焉から開国、
新政府の樹立という大転換から世界の一等国としての地位を確立するにいたる、
大きな節目に当たるのが日露戦争なのです。

江戸幕府の末期、幕末の1853年にペリーが江戸湾に侵入して来ました。
〝黒船〟襲来に日本は上を下への大騒ぎになったのですが、
しかし、実はそれ以前からロシア船が来航して通商要求をしたり、
米軍船が来て開国を要求したりと、ペリー黒船以前から幾度も外圧が到来していました。

こうした海外の脅威を、当時は夷狄(いてき)と言ったわけですが、
この夷狄(いてき)を打ち払おうという気風が特に武士層を中心に高まり、
そこに水戸学や国学の影響が結びついて、尊王攘夷運動が巻き起こりました。
特に、今の山口県の長州藩を中心に水戸藩などでも日本を救うべく志士たちが立ち上がり、
最終的に起きた革命が「明治維新」です。

そして、かれらが明治維新政府を担ったわけですが、
これは成り立ちから考えると少々不思議な政府だったわけですね。
この革命の中心は、最終的に薩摩と長州、今の鹿児島と山口だったわけですが、
彼らはもともと攘夷派、つまり「海外を打ち払う」という立場の人たちでした。
その彼らが新政府を打ち立てた途端、
「開国してあの海外のようになろう」と言い出したわけです。
いきなり真逆の話になったわけですから、不思議なものです。

最初の頃は「あいつらに裏切られた」と思った人も結構いたようです。
その筆頭は、薩摩藩の島津久光です。
維新当時、久光は自分の子供を藩主に据えていたものの、まだ実権は握っていました。
そして、実際に新政府が発足して開国を宣言するや、
久光は「あいつらに最後に騙された!」と気が付いたわけです。
久光は、尊王攘夷の御旗で江戸幕府を倒したあとには、
自分が将軍になるぐらいのことを思っていました。
それが、新しい政府ができるわ、廃藩置県で藩もなくなるわ、
挙句には散発脱刀令が出て髷は切られる、刀は取られる、
全部海外の様になって、武士という身分までなくしてしまう……。
まさか、そんなことをやるとは思ってもみなかったのです。

しかし時代のうねりには、さしもの久光も逆らうことはできません。
さぞ「噴飯遣る方なし」という心境だったことでしょう。
実際、廃藩置県で自分の意向を完全無視された久光は、
錦江湾(鹿児島湾)に船を浮かべて、季節外れの花火を打ち上げさせ、
それを見て憂さ晴らしをした、という話が残っています。
<以下、次号に続く>

数多い司馬遼太郎の作品の中でも、
『花神』は特に好きな作品の一つである。
興味が持てそうな作品から読み始めてみるとよいだろう
   (2021年7月 東京・御茶ノ水にて)