天国と地獄
 

2021年10月5日更新

第179回  釧路の思い出

9月初頭に北海道に行って来ました。
釧路の北、釧路湿原の中を釧網線(せんもうせん)というローカル線が走っていて、
その沿線に「塘路(とうろ)」という小さな駅があります。
私の古くからの知人の息子さんがその「塘路」の駅前に
ロッジをオープンしたのでぜひ来て欲しい、と誘われたのです。
それで、出版部との合宿を兼ねて訪ねることにしました。

久しぶりの道東でした。
何しろ北海道は広いですから、
札幌、函館、小樽などの有名な観光地には行ったことがあっても
道東エリアまで足を延ばす人はそう多くないのかもしれません。
ただ、本当に北海道の大自然を実感できるのは、道東だと思います。
帯広を越え、山を越え、釧路を過ぎ、
釧路湿原から屈斜路湖や摩周湖があるエリアです。
その少し東に、根室中標津空港があります。
全日空が羽田から1日に1便、
あとは札幌への便が1日に2、3便しか飛ばないローカルな空港です。
実はここは、私にとって非常に思い出深い場所なのです。

以前のコラムでもお話ししましたが(第161回)、
私がまだ毎日新聞に勤めていた時のことです。
確か、新聞社を辞める2、3年前のことだったと思います。
当時、北方領土問題がクローズアップされていて、
北方四島の写真を撮りに行ったのです。
民間航空機で釧路空港まで行き、
そこからは毎日新聞社航空部のヘリコプターで向かうことになりました。
パイロットと整備士の2人が、1日半がかりで羽田から釧路空港まで
ヘリコプターを移動してきました。

釧路空港付近は、霧が多いことで有名です。
私たちのヘリも3、4日間、霧で全く飛べず、空港での待機を余儀なくされました。
夜になるともう取材はできませんから、
取材に来ていた社会部のN君という同期の記者とパイロット、
整備士とで釧路の街に繰り出しました。
そこで、たまたま見つけた炉端焼きの店が最高でした。
何しろ美味しいし、値段もそんなに高くないのです。
また、そこのおかみさんがすごく良い人で、
「そう、東京から来たの。新聞社にお勤めなんて、すごいねぇ~」と、
そんな話から始まって皆でわいわいがやがや楽しい時間を過ごすことができました。

しかし、翌日も霧はなかなか晴れません。
その間も東京からは「(写真は)まだか? まだなのか!」とガンガン言ってきます。
仕方がないので、「もう、とりあえず飛んでみよう!」ということになりました。
分厚い雲の下を低空で南に進み、海上で霧が晴れた瞬間に高度を上げれば、
雲の上に出られるのではないかと考えたのです。
恐ろしいほどの超低空飛行です。
しかも、そのヘリはレーダーを積んでいません。
完全に目視だけで半分霧の中を飛んで行くわけですから、それはそれは恐かったです。
もし、目の前に山が現れたら激突して、間違いなく即死です。

そのような状況で海に出てみたところ、そこは漁港の真上でした。
高度は水面からわずか30mほどしかありません。
ヘリから見下ろすと、漁港の桟橋で3、40名くらいの人が釣りをしています。
そこへ突然、頭のすぐ上にヘリコプターが飛んできたものですから、
皆、「ギャァー!!」と大騒ぎになりました。
ヘリはヘリで危うく電信柱にぶつかりそうになり、
「もう無理だ。戻るしかない」と思った瞬間、頭上の分厚い雲にわずかな隙間が見えました。
「ひょっとしたら、うまく出られるのではないか?」
ヘリは高度を上げ、そのわずかな隙間から雲の上に出ました。
そしてそこから東に向かうと、北方四島が見えてきました。

ただ、北方領土まではかなり距離があるため、普通のフイルムではうまく写りません。
そのため、特殊な赤外線フイルムで撮ることにしました。
また、北方領土全体を撮るためにはある程度の高度が必要なので、
ヘリコプターで可能な限り、ぎりぎりの高度まで上がりました。
高度は4,000mほどですが、乗っていても結構きついものがあります。
富士山より高いわけですから、空気が非常に薄いのです。
6月でしたが、寒さもこたえました。
しかし、手袋をしたままだと上手く写真が撮れないので、
手が凍りそうになりながらヘリの窓を開けて望遠レンズで撮影しました。

ほどなくすると、自衛隊の防空サイトからパイロットに無線が入りました。
ヘリコプターは小さいですから、前席のパイロットの無線のやりとりもよく聞こえるのです。
「そちらはどこのヘリコプター?」
「毎日新聞です」
「今、ミグが離陸してそちらへ向かっている。それ以上出たら、撃墜されるぞ!」
国境ぎりぎりまで飛んで行ったため、
ロシアのミグ戦闘機がこちらを撃墜するために飛んでくるというのです!

自衛隊に警告してもらう中で、苦労しつつも
「何とかそこそこのものが撮れたな。今日も炉端焼きだ!」と思っていると、
「撮れたのか?」とデスクから無線が入りました。
「一応、撮れたと思います」と答えると、
「じゃあ、そのまま中標津空港に降りろ。
民間航空機がまだ1本あるから、すぐに戻って来い」と言うのです。
当時、全日空の子会社ANKが運航していた飛行機で泣く泣くその足で帰り、
そのまま本社で現像したのを覚えています。

根室中標津空港は、今ものどかな空港ですが、当時はもっとローカルでした。
ヘリコプターですから、着陸の際はゆっくりと降りて行きます。
着陸地点の両側は、何とお花畑だったのです!
6月で多くの花が咲いている時期で、まるで天国のような空港でした。
それ以来、私は道東にはまってしまい、プライベートで10回近くは訪れています。
ですから、道もわりとよく知っているのです。
塘路に行くには釧路空港からの方が近いのですが、
北海道の一番良いところをレンタカーで走りたいと思い、
根室中標津空港から車で約1時間30分ほどかけて塘路に行きました。

今回、男性スタッフ2人が同行しましたが、
一人は“雨男”、もう一人は“災害男”と言われていました。
何しろ、新婚旅行先で豪雨による避難指示が出て、
泊まっている旅館から避難したという経験の持ち主です。
そんな2人を連れて行ったのがあだになったのか、
予報では滞在期間のほとんどの日が雨となっていました。
私は“晴れ男”なので、「絶対、晴れさせて見せる!」と思っていたところ、
初日、空港に到着した時、空港周辺では少し雨が降ったものの
その後は曇りで、途中景色を楽しみながら宿に到着することができました。

その夜は、バーベキューをやる予定でした。
小さな宿なので、外側に張り出した屋根はあまり大きくはありません。
「できれば雨が降らないといいね」と話していたところ、
雨に降られることなくバーベキューを堪能することができました。
北海道で一番良い牛肉を取り寄せていただき、
人生で一番と言ってもよいほど素晴らしいバーベキューを堪能しました。

ロッジの経営者である知人の息子さん自らが焼いてくれた、
人生最高のバーべキュー
(2021年9月 北海道・塘路にて)

2日目は朝、釧路湿原が一望できる高台まで散歩に行き、
その後は終日、宿にこもってスタッフと仕事をしました。
宿には、母屋の横に最近作ったばかりだという立派なサウナがありました。
私はサウナはあまり好きではないのですが、ここのサウナは非常に良かったです。
サウナから出た後、身体を“整える”時間を過ごすところの眺めが素晴らしく、
本州からもその時間を楽しむために訪れる“サウナー”(サウナ愛好家)もいると言うことでした。
その晩の夕食は、釧路から職人さんを呼んでもらい、魚料理をいただきました。

宿の目の前は雄大な釧路湿原の国立公園で、
ときどき鹿が顔を見せに来ていた
(2021年9月 北海道・釧路湿原にて)

3日目の朝は、今回誘っていただいた私の知人の奥さんが朝食を作ってくれました。
2日目の夜から、その知人の息子さん(ロッジの経営者)が
親友の結婚式でどうしても東京に行かなければいけないということで、
料理研究家である知人の奥さんが特別に作ってくれたのです。
とても美味しい朝食でした。

料理研究家でもある知人の奥さんが作ってくれた朝食は、
普段朝食を食べない私が食べつくしてしまったほどのおいしさ
(2021年9月 北海道・塘路にて)

やはり、私は“晴れ男”でした。
滞在中の天気は、まずまずでした。
3日目は曇ってはいましたが、高曇りだったので
「屈斜路湖と摩周湖を見に行こう!」と思いたち、早くに宿を出ました。
美幌峠(びほろとうげ)という網走に抜ける峠があり、
そこにある展望台からは屈斜路湖をはじめ絶景パノラマが見渡せます。
途中、ずっと曇っていましたが、
私たちが峠に着くと一気に晴れて、青空が広がったのです。
次に向かった摩周湖も、曇ってはいましたが霧もなく、
美しい湖の姿を眺めることができました。

「霧の摩周湖」と言われる摩周湖だが、展望台から綺麗に見えた
(2021年9月 北海道・摩周湖にて)

帰路、空港に着くと(二人の雨男のせいで?)パラっと降られましたが、
大きな天気の崩れもなく、無事東京に帰ってくることができました。
2泊3日でしたが、久しぶりに道東に行き
「やっぱり北海道は、あのあたりが素晴らしいな」と改めて思いました。
ニュージーランドに近い景色で、人もほとんど住んでおらず、
素晴らしい自然が残されています。
特に今は外国から観光客が来ないので、空いていてとても良かったのです。
この時撮った写真を何枚か載せておきましたので、ぜひご覧ください。