天国と地獄
 

2021年9月24日更新

第178回  ちょっと風変わりな話<その3>

三回目の話は、毎日新聞社時代の神戸でのいくつかの思い出です。

私は25歳でカメラマンとして入社してから4年間、毎日新聞大阪本社の写真部勤務でした。
実は、写真部というのは“本社”にしかないのです。
何か大事件が起きた時に応援で行くことはありますが、地方の支局にはありません。
ただ大阪の場合、近隣の京都と神戸には大きな支局がありましたので、
そこにひと月毎に大阪本社から誰か一人が行っていました。
当時、大阪の写真部には20数人のカメラマンがいたと思います。
その中の誰か一人が京都に1ヵ月、神戸に1ヵ月、というように交替で行くのです。
もちろん私も、何回か行きました。

私は大阪時代4年間の後半は、神戸の「御影」という高級住宅街のあたりに住んでいました。
と言っても、私が住んでいたのは古いおんぼろ団地(公団)でしたが。
冬は六甲おろしが吹くとものすごく寒い所で、「死ぬんじゃないか」と思うほどでした。
何しろ昔の建物ですから、すきま風がビュービュー入って来るのです。
その代わり、水道をひねると蛇口から出てくるのは、なんと六甲の天然の生水なのです。
それがとても美味しかったことをよく覚えています。

神戸というと山口組の本部があるところですが、
この山口組に関連して二つ、思い出があります。
一つは山口組の組長のところに全国から幹部たちが集まる行事があり、
その取材に行けと言われた時のことです。
正直、もう、怖くて怖くて。
もちろん、私たちは山口組の本部に入るわけではなく、
その周辺で何かあったら写真を撮れるように待機するのです。

当時は山口組の組長が殺された事件もあり、組同士の抗争などで荒れていたのですね。
他の組の襲撃などもあり得ます。
何があるかわからないということで、普通の警察では万が一の時に対処ができないので、
現場には機動隊が「面と小手」をつけて「盾」を持って待機していました。
組の本部からかなり離れたところに停止線が引かれていて
「停止~、止まれ~」などと軍隊ばりにやっているのです。

すると、ヤクザの親分が「何だおめぇら、何でこんなところにいるんだ!」と
警察に絡んできました。
そういうやりとりを記者とふたりで「怖え~な、怖え~な」
「私たちは関係ありません!」と言いながら、
下を向いて小さくなって奥の方から見ていました。

そのうちに、その親分が歩いて機動隊の方に向かってきて、
「なんだ、おめえら、偉そうにしやがって! 警察だろうが、関係ねぇや」と言いながら、
そこを無理やり通り抜けようとしたのです。
すると、すかさず機動隊が盾でその親分と周りの10人位のヤクザを
溝にあった側溝に叩き落して、ボコボコにしたのです。
最後にはジェラルミン製の盾で足をガンガンやっていました。
相当、怪我をしたのではないかと思うのですが、
さすがに親分も「ひぇ~、わかった、わかった、助けてくれ~」と悲鳴を上げていました。
あれは見ていて、思わず「ふふふっ」と笑ってしまいました。

そんなことがあった前後だったでしょうか。
組には一番偉い組長がいますが、
その下にはそれぞれ幹部が組長を務める小さな組があります。
その小さな組に「ガサ入れ」と言う、
新聞用語とか警察用語でいうところの家宅捜索がありました。
裁判所の令状を持って警察が踏み込むのです。
実は、その「ガサ入れ」は事前に新聞社には情報が入るのです。
ある日、支局長から
「明日の朝、ちょっと早いけどガサ入れがあるから、入ってよ」と言われました。
そこで翌日、早めに指示された現場に行くと、そこは普通の公団の一室でした。

しばらく外で待っていると、警察がやってきました。
捜査員たちが出動帽をかぶって突入し、私たちも彼らと一緒にバッと一斉に入って行ったのです。
新聞社も各社きているので、いわば競争です。
わぁーっと一斉に公団の一室である普通の住宅に、皆が土足のまま入ってしまったのです。

警察が令状を見せ、「警察だ!」と言っているところを
パシャパシャと写真を撮っていると、5分位たった頃でしょうか。
そのヤクザの親分が突然、「お前ら何だ!! 警察の方々はしょうがない。お仕事だ。
けど、お前らは関係ねぇのに勝手に、しかも土足で入ってきやがって!」
と怒鳴り出したのです。
私を含めて全員(朝日・毎日・読売・産経・共同通信もいました。
あとテレビ関係もいたと思います)、皆「ひやぁ~!」と一斉に玄関から外へ逃げ出しました。

親分の言う事はもっともです。
いくら警察のガサ入れとはいえ、他人の家に勝手に、
しかも土足で入ってしまったわけですから。
私は逃げずに一人残り、改めて靴を玄関で脱ぎました。
他のカメラマンは怖がって、ついてきません。
頭を下げ「失礼致しました。親分さんでしょうか。本当に失礼致しました。
私たちも慌てていたので、大事なお宅に土足で入ってしまい、本当に失礼しました。
今後、絶対こういうことはないように致します」と詫びました。

すると、その親分は「お~、お前、いい根性しているな。がははは! 
まぁ酒でも飲んで行けや!」と言うのです。
むげに断るのも何なので、そこはうまく
「今、ちょっと勤務中なので、お酒は飲めないんです。お茶くらいなら」
と言ってお茶をご馳走になりました。
少し話していくうちに「お前、早稲田(大学)か。
うちの組は最近、高学歴の者もいないし、お前、いい根性してるしな。
毎日新聞なんて、給料安いんだろ? うちの組にくれば、お前なら幹部になれるぞ」と、
何と、そこで組員へリクルートされたのです!

「ありがとうございます。でも、私は今の仕事が好きなので」と言って何とかうまく断り、
その場を切り抜けたのでした。
その時、もしそのリクルートを受けていたら、今頃は山口組の幹部として!?

そんな取材を終えて、坂の上にあった公団から坂道を下っていると、
前から見たこともないような絶世の美女が和服姿で上がってくるのです。
「え!?」と思い、すれ違ってから後ろを振り返ると、
なんと先ほどガサ入れのあったその建物に入って行ったのです。
周りの人に聞くと、先ほどの親分の奥さんだというのです。
その時だけは「ヤクザっていうのも、ちょっといい商売かもな」と思ったのでした。

最後の話は、毎日新聞を辞め、
私が「浅井隆」として講演会をやるようになってからの話です。
たまたま鳥取で講演会があり、
「せっかく鳥取まで来たのだし、冬だし、この後どこかでカニでも食えないかな?」
と思い、旅館を探しました。
山陰本線でずっと東に行くと、城崎のちょっと手前に「竹野」というJRの駅があります。
そこから車で3分位のところなのですが、
なんと海に隣接する「竹涛(ちくとう)」という、有名なカニ料理専門店がありました。
料亭旅館ですね。今でもあると思います。運良く、そこに一泊することができました。

私が行った時は冬の季節で、普段はお客さんが結構いるらしいのですが、
たまたまその日はお客が私しかいませんでした。
ですから、仲居さんが付きっきりで対応してくれたのですが、
その時に面白い話をいろいろしてくれたのです。

私が泊まったその日は、幸い海は荒れていなかったのですが、
冬の荒れた日は、もう、波がすごいらしいのです。
旅館を飛び越える程の高さの波で、何度も地下の浴場のガラスをぶち破ったこともあるそうです。

とても波のすごいある日、ヤクザの親分が子分を何人か連れて泊まっていたらしいのですが、
最初は威勢の良かった親分が、最後には泣き出してしまったそうなのです。
なんと、親分は波を怖がったのだそうです。その親分は子分に抱きついて、
「怖いよぉ。早くこんなところ、出たいよぉ~」と叫んでいたそうです。
無理ですよね。もし出たら、それこそ波にさらわれてしまいます。
そんな話を聞いたことがあります。

以上、ちょっと風変わりな話で、皆さんの役には立たないかもしれませんが、
たまにはこういう話も息抜きとして面白いのではないかと思いました。

新聞社時代にありとあらゆる危険な現場に行ったおかげで、
私の神経も図太くなって行ったと思う。
しかし、同時にどんな人に対しても繊細さや優しさは
失ってはいけないとも感じている。

(2021年6月 東京・毎日新聞社ハイヤー駐車場にて)