天国と地獄
 

2021年8月5日更新

第173回  中国と私 <その4>

前回のコラムでは、2000年に実施した初めての中国ツアーについてお話ししました。
その後、2002年に「中国金鉱山視察ツアー」なるものを実施しました。
目的地は中国西部のウルムチでしたが、
実はこのツアーが私の主催する海外ツアー史上、
最も過酷なものとなってしまったのです。

私には、香港人のアレックス・チャンという友人がいました。
アレックスは香港の大財閥の次男坊でしたが、大酒飲みだったこともあり、
体調を崩してつい2年ほど前に亡くなってしまいました。
残念なことに、その財閥も彼らの代で潰えてしまいました。

生前のアレックスは、なぜか私のことをとても気に入ってくれて、
とある日「浅井さん、中国の奥地で俺の友達が露天掘り(鉱石を採掘する手法の一つ。
坑道を掘らずに地表から渦を巻くように地下めがけて掘っていく手法)で
金鉱山をやっているから見に来ないか?」と誘ってくれました。

私は興味津々となり、中国の奥地も観てみたいという冒険心から、
早速ツアーを組みました。
結果的に過酷なツアーとなりましたが、
とても面白かったツアーとしても記憶に残っています。

中国西部に位置するウルムチは旧ソ連に近く、イスラム系の住民が多い場所です。
住民の顔つきも漢族(多数派の中国人)とは明らかに異なっています。
我々は北京経由でウルムチに行ったのですが、今でも中国人からも
「どうしてそんな所(僻地)へ行ったの?」と訝しげに言われるほどの所です。
一般的な中国人は「(僻地という感覚で)ウルムチは、もはや中国ではない」
という印象を持っているようです。
戦国七雄(春秋時代)や漢の時代には
匈奴(きょうど)という騎馬民族が住んでいる地域でした。
見渡す限りの砂漠が広がっています。

ウルムチ地窩堡(ちかほう)国際空港に降り立ちましたが、
夜の便で到着し、そこで見た夜空の美しさは忘れられません。
いまでこそ、都会になっているのでしょうが、
当時は自然の中にある広大な空港でした。
満天の星空というのは、あのような空のことを言うのでしょう。
空気は澄みわたり、空港なのに静寂があたりを包んでいました。

ウルムチは、街自体はかなり大きな街でした。
当時、ウルムチで勉強していた日本人の留学生を何人か招待して、
ウルムチ唯一の日本食料理店で食事会を開きました。
しかし、そこでの経験も忘れられません。
なんと、ミイラのようなマグロを食べたのです(苦笑)。
ウルムチは「地球上で最も海から遠い場所」として知られています。
北極海、インド洋、東シナ海、どこから測っても海から最も遠い土地なのです。
私たちは、そのような場所で刺身を食べてしまったのです。
なぜ注文したのか忘れてしまいましたが、
おそらくそんな土地で提供される「刺身」への好奇心からのことでしょう。

日本から持って来たマグロだったようですが、完全にミイラと化していました。
乾燥して、“カピカピのマグロ”です。
身体を壊すかもしれないと思いつつも私は食べました。
それは、マグロとは言えず、得体のしれない味でした。

他の料理も「これが日本食?」と思うようなものばかりで、
日本人からすると違和感しかありません。
当時から日本料理は中国人に人気が高く、
中国全土でエセ和食店がぼったくり価格で営業していたのです。
唯一良かったことは、現地に滞在している日本人から
たくさんの情報を得ることができたことでした。

その日本料理屋での夕食後、
すぐに夜行の寝台列車に乗る予定になっていたので駅に向かいました。
駅でもまた、すごい経験をしました。
夜10時くらいに駅に着いたのですが、駅は広大なドーム型の建物となっていて、
その中に1000~2000人ほどの中国人がじっと座って待機しているのです。
鉄道警察のような人に威圧されていたのですね。
日本では考えられませんが、
こういった光景は膨大な人口を抱える共産主義の中国では当たり前の光景なのです。
鉄道警察なのか、共産党の役人なのか、
私たちのそばに偉そうな中年の女性がいました。
ホイッスルを高らかに鳴らしながら人々を制圧し、
何をするにもこの女性の許可がないと動けません。
まさに共産主義の世界ですね。

トイレの場所をたずねると、「トイレはありません!」と大きな声で言われたのですが、
これにはさすがに閉口しました。
そして、服務員が巨大なビニールシートを数人で持って広げ、
そこで人々はその中に用を足していました。
まさに、仰天の光景です。

その待機所からホームへの移動も一苦労でした。
工事中のためなのか、ほとんど電気が付いていない、
暗く足元もおぼつかない中を、数千の大群がホームに一斉に向かうのです。
しっかりと前の人に掴まっていないと、完全にはぐれてしまいます。

なんとか列車までたどり着くことができましたが、
最初に案内された号車は間違いで、そこからまた大移動を強いられました。
数千の中国人が声を出しながら動く姿は、
言葉は悪いですが、映画に出てくる強制収容所に近いものがありました。
日本では、まず出くわすことのない風景です。

世界中、様々な国々を訪れたが、
20年前の中国はいろいろな意味で衝撃的な体験だった。
現在の中国の発展は、当時は想像だにできなかった。 
  (2021年6月 東京・千代田区のコーヒー豆店にて)