天国と地獄
 

2021年7月15日更新

第171回  中国と私 <その2>

さて、前回はだいぶ脱線してしまいましたが、
私が親しい知人と(恐らく1997年だったと思います)
プライベートで中国に行った時のお話に戻りましょう。

北京のホテルに到着し、知人と「一度、部屋に入って1時間後くらいにロビーで待ち合わせて、
何か美味しいものでも食べに行きましょう」などと話し、
それぞれの部屋でくつろいでいた時のことです。
突然、ホテルの私の部屋の電話が鳴りました。
「何事だろう? フロントから何かの連絡かな? 中国語、わからないなぁ?」
などと思いながら電話に出てみると、突然、電話口から日本語が聞こえてきました。
しかも、ヤクザでもこんな声出さないだろう、というような凄みのある、
映画にでも出てくるような声でした。
「関さん、あなたの入国カード、乗ってきた飛行機の便名、間違っていましたよ。
気を付けて下さい」と、ただそれだけ言って切れたのです。

私は即座に、「あっ!!」と思いつきました。
これは私が、前回紹介した『チャイナ・プロブレム』という、
中国を批判するような本を出版したからだと。
その直感は、全くの正解でした。
あとから聞いたことなのですが、東京にある中国大使館の中にそういう部門があり、
日本で出ている新聞から本から全てに目を通して、
中国に対して批判的なものは全てチェックしているらしいのです。
そして、要注意人物としてマークするのです。
「中国の悪口をいうやつは許しておかない」ということです。
私は改めて、「すごい国だな……」と思いました。

さて、そんな中国ですが、私はこの北京訪問後も何度か訪れています。
第二海援隊グループでも、会員さんと一緒に行く「中国ツアー」を
2、3回開催したと記憶しています。1回目は、恐らく2000年でしたでしょうか。
このツアーに先立つ1999年、私は文明研究家の村山節先生との共著で
「覇権の移行と文明の800年周期説」について書いた
『文明と経済の衝突』という本を出版しました。
内容を簡単に説明すると、人類の文明というのは西洋と東洋で800年ごとに入れ替わっていて、
その800年ごとの交差点では大動乱が起きているというものです。
そして、この壮大な周期に基づくと、2000年を境に21世紀からは
アジアの時代が来るという流れになっているのです。
そうした中で、日本が先頭を走り、そのあとに中国が続く、といったことを書いたのです。

この書籍は、村山先生が手掛ける人類の文明史研究という、
極めて奥深いテーマをわかりやすく、そして興味深く解説した内容であったため、
日本だけにとどまらずぜひ中国語に翻訳して中国でも出版しようという話になりました。
そして、当時日本に来て活躍していたある中国人女性の仲介で
中国国際電波出版社という大手の出版社から出版できることになったのです。
その流れで、この本の出版記念パーティーを兼ねて北京と上海に行くツアーを開催し、
私のファンを連れて行こう、ということになったのです。
この企画の催行を通じて、中国という国についてさらに色々なことがわかりました。
その中の大きな事は、約20年前当時の中国はまだまだ遅れた国だった、ということです。

正確な金額は覚えていませんが、出版記念パーティー兼ツアーの費用は数百万円程度でした。
会場費、パーティーの費用など全て込みで数百万円ということで私は契約書を交わし、
お金を事前に振り込んでおきました。
いざ当日となり、現地で仲介者の女性と合流しようとすると、
なんと、わざわざ空港まで迎えに来てくれていました。
「なんと丁寧な歓待!」と驚き喜んだのもつかの間、うちのスタッフと車に乗った途端、
その仲介者の女性は日本語で「全然、お金、足らないんですよ!!」と言い出したのです。
事前に振り込んだのは、恐らく500万円位だったと思いますが、
「1,000万円出しなさい!」と突然言い出したのです。
「そうじゃなければ、このツアーない。途中で中止ね!」と。
しかも「これは、あなたが悪い!」と。
はじめは、言っている意味が全くわかりませんでした。
彼女はすごい剣幕で「全部あなたが悪い、早く1,000万、払いなさい」の一点張りです。
いきなりまくし立てられて、すっかり面食らってしまいました。
こちらはもう現地に着いてしまっていますし、数日後にはお客さんも中国入りしてくるし、
ツアーを中止するわけにも行かず、
仕方なくいくらかを支払ってなんとか旅程をこなすことにしました。

ですが、その後の行程を見てみれば、確かにツアーはとても面白く、素晴らしいものでした。
中国の国会「全人代」にも使用される人民大会堂の一部屋を貸し切って講演を行なったり、
しかもその後、大きなレセプションルームで中国を代表する文人や毛筆家、
学者などを全国から集めてパーティーを開くというものだったのです。
ただ、当時の中国は物価が安かったので、
最初に振り込んだ請求額で足りないなどということは、絶対あり得ないはずでした。
なのに現地入りしてから「1,000万出せ!」「倍出せ!」とはどういうことでしょう。
そして「出さなきゃ、このツアーは途中でおしまいだ!」という……。

私はその時、身に染みてわかりました。
この国とビジネスをやるには、たとえ最初にきちんと契約を結んでも意味がないのだと。
たとえば、共産主義の国では不動産一つとっても辿っていけば共産党のものということになります。
私有権という発想は、初めからないのです。
現地でビジネスをやるということは、共産党が持っている土地を借りる、ということと同じです。
もちろん、外国人は絶対に不動産を購入できません。

借りた土地の上で行なう商売が、いずれどうなるかは明らかです。
うまく軌道に乗ったが最後、乗っ取られてしまうのです。
私の知人も、私が何度も止めたにも関わらず言う事を聞かずに
中国でのビジネスに乗り出してしまい、1億か2億投資して、
結局、その会社も事業も全部乗っ取られてしまいました
(その知人は大金持ちだったのでケロッとしてましたが)。
そもそも、大元である共産党まで辿らなくとも、
共産主義国家では現地の人の名義を借りないと不動産も会社も手出しができません。
この時点で、こちら側は極めて不利なわけです。
どんな形にせよ、彼らとビジネスをするということは、
どんなに事前に契約を交わしていようが、騙されたり、ぶったくられたり、
乗っ取られたりすることを覚悟しなければならないのです。

中国だけでなく、これは共産主義国ではどこでも大体同じで、ベトナムでも一緒です。
今はもう少し違うと思いますが、2000年頃のベトナムなどはかなり貧しい国でしたから、
日本人が来たとなれば、もう「何でもいいからぶったくってしまえ!」という勢いでした。
第二海援隊グループでは、以前は「ベトナムツアー」も何回かやりましたが、
その時参加した会員さんには、必ずしっかり言い置いていたものです。
「この国に投資するなら、全てなくなるものと思いなさい。
メコン川に捨てるつもり。全部(財産が)沈む。そのつもりでやりなさい」と。

しかし、それでも言う事を聞かずに投資した人が何人もいました。
私も勉強を兼ねて数百万くらい投資しましたが、私を含めその投資は全てなくなりました。
それはもはや、仕方のないことなのです。

共産主義国とビジネスをするには、
よほどの事情通や専門家を交えて行なわないと
痛い目に遭う。このペルシャ絨毯は
中国の敦煌に行ったときに値切って
買ったものだが、品物はとても良い。

(2021年6月 東京・世田谷区にて)