天国と地獄
 

2021年6月25日更新

第169回  ニュージーランドの思い出
       <北半球との違いとこの20年の発展>

前回はニュージーランド行きの飛行機の中で吉永小百合さんにお会いした話をしました。
それはさておき、ニュージーランドには豊かな手付かずの自然が全土に残されており、
世界中の多くの人々に人気があります。
気を付けていただきたいのは、「ニュージーランドは南半球にある」ということです。
ニュージーランドには北島と南島がありますが、南半球なので南島の方が赤道から遠く、
南極に近いため、寒いのです。

こんな笑い話のような実話があります。
ある日本人がニュージーランドを気に入り、
現地に不動産を買おうと思い不動産屋にこう言ったそうです。
「くれぐれも南向きの部屋を頼む。北向きは絶対にダメだ」と。
不動産屋はその通りに南向きの物件ばかり紹介しました。
すると、その日本人は「日当たりが悪いじゃないか!」と怒り出しました。
すかさず不動産屋は言い返しました。
「でも、お客様は『南向きがいい』と言いましたよね」と。
南半球のニュージーランドでは、南向きというのは日本で言う北向きのことなのです。
太陽は東から上り、北側を通って西に沈むため、日当たりが良いのは北向きの部屋なのです。

他にも、北半球との違いはあります。
たとえば、お風呂の栓を抜いた時、北半球と南半球とでは渦が逆になります。
また、北半球と南半球とではあまり空気が入り混じりません。
主要国の多くが分布する北半球の汚染された空気が、南半球には流入しにくいのです。
そのため、ニュージーランドは大気汚染も少ないと言われています。
実際、ニュージーランドに行ってみると、空気の美味しさを実感します。
中国などからの汚染された空気や酸性雨にさらされる日本とは大違いで、
ニュージーランドにいると気分が全然違うのです。

私が初めてニュージーランドを訪れたのは1997年でしたが、
白人が住む先進国でこんなに貧しい国を見たことがないと感じたものです。
ニュージーランドではオークランドに次ぐ2番目の大都市で、
南島では最大の都市であるクライストチャーチでさえ、
空港の出口のすぐそばを羊が歩いているほどのどかでした。
本当に人が少なく、静かなところでした。

クライストチャーチではマイクロバスに乗って観光に出かけたのですが、観光客は私だけでした。
運転手はおじいちゃんで、ボロボロの服を着ていかにもお金がないという感じなのです。
休憩時にそのおじいちゃんを誘い、スコーンと紅茶をご馳走してあげたところ、
とても喜んでくれました。さらにチップをあげたら、もう涙を流して喜んでいました。
それほど、当時のニュージーランドは貧しかったのです。

B&B(Bed and Breakfast)という朝食付きの民宿に泊まった時には、
シャワーのお湯がほとんど出ませんでした。
民宿のおばあちゃんは、「お湯は5分か10分しか出ないんだよ」と言います。
どうやら、お湯をタンクに溜めて、それを使い切ったらおしまいのようなのです。
また、夕食に出かける際に、そのおばあちゃんにお勧めを聞くと
「美味しいステーキがあるよ」と言うので食べに行ったところ、
出されたのは日本だったら「こんな肉、食えるか!」と言われてしまうような、
わらじのように固くまずいステーキでした。
宿に帰り、おばあちゃんに「美味しかったろう?」と言われたのには閉口しました。

ニュージーランドを初めて訪れた時、
私は20歳の頃に訪れたイギリスに近いものを感じました。
当時、イギリスは「英国病」と言われ、経済の低迷に苦しんでいました。
第二次世界大戦時の巨額の債務処理のため、
金利を押さえつけて政府の借金が増えないようにしたのです。
国民は、銀行にお金を預けても満足な利息が得られませんでした。
このような状況の中、慢性的に景気が悪く「英国病」に陥ったのです。

対照的に、その頃の日本は高度経済成長の真っ只中で、
国民の生活水準もどんどん向上していました。
ただ、このような日本の状況について、イギリスの一般庶民の多くは知らなかったようです。
以前のコラムでもお伝えしましたが、ホームステイ先でこんなことがありました。
ホームステイ先のおばあちゃんが私の部屋に入って来て、
壁に貼ってあった世界地図を見て「日本はどこだい?」と言うのです。
「日本はこれだよ」と言うと、
「へ~、小さいね。ところで、日本は中国の何省なんだい?」と言われたのです。
中国の一部だと思ったのでしょう。一般庶民はその程度の認識だったのです。

ましてや、日本製品など全く認知されていません。
まだまだ“安かろう悪かろう”という偏見があった時代です。
当時のイギリスで何よりも驚いたのは、ドアが木製の車が走っていたことです。
つまり、壊れたボロボロの車のドアを取り換えて木製にしていたのです。
走っている車の6台に1台くらいが木製ドアでした。

それから約20年後、かつてイギリスで見たのと同じような
木製ドアの車をニュージーランドでも見ました。
新車など、ほとんど走っていません。
走っているのは、ボロボロで日本だったらとっくに廃車になっているような車ばかりでした。
2002年5月に第二海援隊のツアーを開催した時のことです。
ツアー最終日の早朝、空港に行くバスがエンストして壊れてしまいました。
急きょ、別のバスを呼んで何とかギリギリでフライトに間に合いましたが、
バスのエンジンが壊れて動かなくなるなんて、日本ではまずあり得ないことですね。

ニュージーランドで私がお気に入りの町に、南島のクイーンズタウンがあります。
クイーンズタウンは小さな町ですが、今や世界でも有数の観光地の一つです。
しかし、私が初めてクイーンズタウンを訪れた当時、
南島ではジェット機はほとんど飛んでおらず、プロペラ機で移動しました。
もう秋だったせいもありますが、とても静かで人もあまりいませんでした。

私はレンタカーを借り、本屋で詳細な地図を買ってどこを回るかじっくり検討しました。
ワカティプ湖の先にグレノーキーという町があり、
そのさらに先に“パラダイス”という地名を見つけました。
パラダイス……つまり天国です。
気になった私は、パラダイスに行ってみることにしました。
当時は観光客など皆無です。
おそらく、私が最初の日本人観光客だったのではないでしょうか。

パラダイスに着くと、もう少し先まで行ってみようと、
山の中の谷間の道を車で進みました。
夕方、時間が遅くなり、少々あせっていたのでしょう。
私はカーブの砂利道でスピードを出し過ぎたようで、
スリップした車は道から大きく飛び出し、柵を超えて牧草地に落ちてしまいました。
車はすっかり土にはまり、身動きが取れません。
辺りは暗くなってきており、途方にくれました。

そこを、たまたまニュージーランド人の家族が車で通りかかりました。
彼らは皆で車を押し上げ、道に戻してくれました。
その時、助けてくれたニュージーランド人の家族は「この人たちは原始人か?」と思うくらい、
毛はモジャモジャ、ひげもモジャモジャ、子供たちは裸足、しかも彼らの車はボロボロです。

なんとか車は動いたので、翌日レンタカー屋に車を返しに行き、
「ちょっと牧草地に入ってしまいまして」と告げると、
「全然、いいよ」と言い、そのまま何の追加料金も取られずにすみました。
今だったら、やれ弁償だ、やれ保険だと、大騒ぎになるに違いありません。

町に戻って日本人が経営するうどん屋で、「パラダイスに行ってきたよ」と言うと、
「えっ! パラダイスに行った人なんて、聞いたことがありません」と驚かれました。
当時、現地で会ったニュージーランド人も日本人も本当にいい人ばかりでした。
飲食店などを経営する人も、ほとんどが過度な金儲け主義に走ることがありませんでした。
あるレストランのオーナーと友達になり、
大きな球を投げてぶつける球技をレストランの前で一緒にやったり、
良い思い出がたくさんあります。

最近ではパラダイスもすっかり有名になり、中国人を中心に多くの観光客が訪れます。
2月の春節の頃などは、何十台もの観光バスが乗り入れ、中国人だらけです。
中国人を掻き分けながら散策するような状況です。
不動産価格は、私が初めて訪れた97年と比べると10倍~20倍にまで高騰しています。

この20年で、ニュージーランドも大きく変わったなと思います。
それでも、まだ人口は500万人と少なく、ワインも美味しいですし、本当にいい所です。
ぜひ一度、ニュージーランドに出かけていただきたいと思います。

ニュージーランドは、羊肉の国と思われがちだが、
日本と同じように四方が海なので海産物もおいしい。
   (2020年2月 ニュージーランド・オークランドにて)

仕事をリタイアして移住してきた白人も多い。
労働者として入ってきているのは、インド人と中国人が断トツである。
   (2020年2月ニュージーランド オークランドにて)