天国と地獄
 

2021年3月25日更新

第160 回 私が旅してきた日本<その②>

 

さて、再び話を九州に戻しましょう。
九州は独特の食文化というか、味覚も興味深いものがあります。
九州の醤油は、関東と違って“甘い”ですし、味噌も白みそが多いのです。
鹿児島には“つぼ漬”という大根を黄色くして砂糖で漬けたような漬物がありますし、
さつま揚げも結構砂糖を入れているので甘いのです。
ですから、鹿児島では基本的にさつま揚げは醤油などつけずにそのまま食べます。
何でもかんでも、けっこう甘い味付けと言ってよいでしょう。

「なぜなのだろう」と考えてみると、もしかしたら江戸時代に奄美地方で
サトウキビの栽培が盛んだったことと関係があるのかもしれません。
博多だけは明太子のように辛い食文化もありますが、
あれはおそらく韓国の影響だと思います。

そして、意外に思われるかもしれませんが、九州はかつて情報の最先端でもありました。
今でこそ違いますが、九州はペリーの黒船来航以前は
日本で一番情報が早い土地だったのです。
どういうことかというと、幕末の騒乱を引き起こしたペリー来航までは
日本にやってくる全ての文明や情報、海外から来る文物は、
中国あるいは南蛮渡来(ポルトガルやスペイン、オランダ、イギリスなど)で
フィリピン辺りなどを経由して来たわけです。

つまり、全ての文明情報というのは基本的には西から、
しかも中国や朝鮮半島から来たと言われているのです。
そうすると九州(薩摩)や山口(長州)というのは、
実は一番情報が最初に来るところであったと言えるのです。
ですから、必然的に貿易も盛んになりました。
それが幕末から明治維新以降は、全てアメリカ、
およびヨーロッパから直接東京や横浜に渡来するようになり、
そのため情報の入ってくる場所も移動したというわけです。

もともと九州諸国は、情報先端地になる宿命にありました。
江戸時代、特に薩摩藩などは幕府に仮想敵国として見られていました。
幕府は藩を弱体化させるため財政に負担がかかることを色々とさせたため、
江戸後期には藩の財政は破綻していました。
そこで、財政立て直しに取られた方法の一つが密貿易でした。
幕府に内緒で琉球を通して中国などと交易をして、それで儲けていたというのです。
交易、そして貿易を通じて大陸の最先端の情報も全ては琉球や中国から来ましたので、
(九州は)一番情報に敏感なところだったのです。

さらにさかのぼれば、たとえば戦国時代において
ポルトガルの船が種子島に漂着して火縄銃が伝来しました。
そうすると、やはり九州だったというわけです。
一方で、そこから一番遠い東北地方は残念ながら情報に疎い地域でした。
幕末、そして明治維新という革命前後や戊辰戦争などの時も、
東北諸藩というのは非常に情報に疎く、
ボーっとしていて「何だろう?」と思っているうちに終わってしまっていましたし、
もともと幕府に忠誠心のあった会津藩や東北諸藩というのは、
幕府の衰えにも気付かずに幕府に味方し、そして出遅れてしまったのです。

そのように俯瞰してみると、
当時の九州というところは情報が全て大陸から来ていたために、
本当に先進的なところだったことがよくわかるのです。
情報の最先端にあったということは、遺されている生活文化などを見ても明らかです。
たとえは有田焼に代表される様々な焼き物も、九州は非常に多いのです。
その焼き物が元はどういうところから来たかというと、
秀吉が朝鮮出兵で朝鮮半島に攻め込んだ時、
陶工(陶器を作る職人たち)をたくさん連れて来たことに端を発します。
当時の朝鮮半島は日本より焼き物などの技術が進んでいたため彼らは大切に扱われ、
その後、彼らから教わった技術が徐々に各地に広がって、
やがていろいろな日本の焼き物ができて行ったのです。
もともと、備前焼や瀬戸焼など日本にも焼き物はありましたが、
それとは違う流れができたのです。

やはり、九州というのはそういう文化的な意味でも当時から違いが際立っていたのです。
そして、九州の中でも長崎というところはさらに異色を放っています。
長崎は江戸時代に鎖国をしていた中で、唯一外国との窓が開かれており、
オランダや中国と貿易をしていました。

皆さんは、“卓袱料理”(しっぽくりょうり)を食べたことがあるでしょうか?
長崎発祥の宴会料理の一種で、大皿に盛られた料理を円卓に並べ、
各々が取り分けて食べるのです。
その昔には花街があった長崎の丸山町に、
料亭自体が長崎県の文化財(史跡)になっている“花月”という料亭があるのですが、
2階の“竜の間”には坂本龍馬が傷つけたと言われている“刀傷”があるのです。
本当に昔のままの料亭で、そこで卓袱料理をいただけるのですが、
要は中華料理とオランダ料理と和食、この3つを合わせたような不思議な食べ物です。

正直、私にはあまり美味しいものには感じられませんでした。
ただ、当時の雰囲気の片鱗を味わうには面白いと思います。
料亭ですから一人3万円くらいはかかりますが、
一度くらいは物の試しに食べてみてはいかがでしょうか。
そして、花月に行く機会がありましたら、
ぜひ坂本龍馬の刀傷の跡やいろいろな歴史的なものを見てきて下さい。

また、長崎には“ちゃんぽん”という、
中華料理を和風にしたような独特の味のご当地料理があります。
日本三大中華街の一つである長崎の新地
(江戸時代に埋め立てをして作った土地というのが地名の由来です)には、
“江山楼”という美味しい中華料理店があります。
初めて食べたときはびっくりしました。
特にちゃんぽんの汁がすごかったのです。
アサリやタコ、いろいろな物が入っていて、豚骨も多少入っているのでしょうか。
“特上ちゃんぽん”という、魚介類多めのちょっと高いものでも1400~1500円くらいで、
「こんな値段でこんなに美味しいものが食べられるんだ! どんな料亭よりも美味しいな!」
と思ったほどでした。
ただ残念なことに、数年前に私が行った時にはちょっと味が落ちていました。
タクシーの運転手さんに聞いたところ、「先代が亡くなったためだ」と教えてくれました。
それでも際立って美味しい店だと思います。

長崎の食と言えばカステラも有名です。
東京では「文明堂」が有名ですが、
こういうことを言っては失礼なのですが、
実は長崎の人は文明堂のカステラはあまり買いません。
もっぱら買うのは、最近では東京のデパートでも出店している「福砂屋」という
黄色いコウモリのマークのカステラです。
地元で聞いたところ、
実は文明堂は明治時代に福砂屋の番頭が飛び出して作った店なのだそうです。
今でも、味にうるさい長崎の人は福砂屋しか買わないそうです。
私も福砂屋の方ががぜん好みなので、カステラは福砂屋でしか買いません
(ただ、東京で売っているものは実は神奈川の工場かどこかで作られていて、
味が少し違うらしいです)。
長崎の本店で売っているものは地卵を使い、徹底した品質管理で作っているので、
やはり一番美味しいと私は思います。
本店は前述した料亭花月に行く手前にあるのですが、
いまだに江戸時代からの古い小さな建物で営業しており、
惚れ惚れするほどすごく素敵な雰囲気の店です。

前回のコラムでも書いたように、
私は高校2年の時に初めての一人旅で鹿児島へ行き、
また以前のコラムでも書いたように大学1年の時に初めて行った長崎では
恩師と呼ぶべき人と出会い、その後数年間は春休みと夏休みに通いつめ、
ボランティアをやっていました。
当時の長崎の被爆地の雰囲気も、とても印象に残っています。

ご存知のように私は今、「株式会社 第二海援隊」という会社を経営していますが、
この「海援隊」も坂本龍馬が作った日本最初の会社(カンパニー)である
「海援隊」からとっているのですが、
「海援隊」の前身である「亀山社中」は長崎の亀山で結成されています。
そうして考えると、私と九州とはじつに不思議な縁で結ばれていると言えるでしょう。

 

私の会社「株式会社 第二海援隊」の社名の由来は、
坂本龍馬が作った「海援隊」が日本を変え、
世界を目指して商売をしようとしていたように、
第二の「海援隊」として日本の為に、
そして世界を相手にビジネスをしようという志で名付けたものだ。

    (2021年 東京・御茶ノ水にて)