天国と地獄
 

2021年3月15日更新

第159 回 私が旅してきた日本<その①>

 

皆さん、こんにちは、浅井隆です。
3月に入りましたが、ここ東京もそうですが緊急事態宣言下に置かれたままの所もあり、
なかなか思うように動けない日々をお過ごしのことと思います。
そんな中、少しでも旅行気分を味わってもらうために、
今回から数回、私が旅行した日本国内の思い出の場所のお話をしたいと思います。
今回のテーマは“九州”と“北海道”です。
ご存知の通り、九州というのは沖縄を除けば東京から一番遠い西の端、
そして一番遠い北の端は、北海道です。
不思議と私は、この両端の北海道と九州に縁があるのです。

私は高校2年生の時、生まれて初めて一人旅をしました。
しかも10日間という長旅です。その旅行先というのが九州でした。
私の父親は国鉄で働いており、官舎住まいだったのですが、
同じく国鉄官舎に住んでいた関根さんという人の親戚である
久木迫春美さん(名前は女性っぽいですが男性です)という人と私はずっと文通していました。
今はあまり言いませんが、いわゆる“ペンフレンド”というものです。
久木迫さんは鹿児島に住んでおり、私より1つ年上でした。
そしてその彼が、私が高校2年の時に「遊びに来ないか?」と
誘ってくれたのがこの旅のきっかけでした。

当時、国鉄は今と違って殿様商売でしたから、
職員どころか家族まで使える「10日間無料パス」というものが職員に配られており、
急行列車まで全部無料で乗れたのです。
「桜島・高千穂号」という東京発西鹿児島行きの急行があり、
それが日本一長い距離を走るというので、私はこれに乗って行くことにしました。
ただこの急行、目的地までまる1日以上もかかるのに、寝台列車がないのです。
4人1組のボックス席の客車しかない上に座席が固く、とにかく疲れる列車旅でした。

この初めての一人旅以降、私と九州の縁はいよいよ深まっていきます。
以前のコラム(第146回)でもお話ししましたが、
大学1年の時には長崎に行き、そこで後に私にとって恩師となる “野中先生”と出会いました。
その後も、私の大学時代の先輩が九州で仕事をしていたこともあり、
大学時代には何度も足を運びました。
今でも九州は仕事そしてプライベートでも良く訪れており、
少なくとも毎年1回、夏休みには訪れています。
その一方で、毎日新聞社時代の最初の勤務先だった大阪は、その後ほとんど縁がありません。
そういう意味ではやはり、人にはそれぞれ縁のある土地というものがあるのだと思います。

その九州には、ご存知の方もいらっしゃると思いますが
その名の通りかつては9つの州(国)がありました。
そして、たくさんの火山があります。
「火山があるところ温泉あり」ということで、九州には当然のように温泉がたくさんあるのです。
私は温泉、というか「温泉旅館」が大好きです。
個人的意見ですが、やはり良い温泉旅館があるところといえば
東北、伊豆、九州ではないでしょうか。
中でも私は、やっぱり九州が好きですね。
霧島もそうですが、桜島もそれ自体が火山で、
また鹿児島の錦江湾奥はカルデラ(火山でできた凹地)です。
阿蘇山のような、巨大な噴火の跡地が湾になったものです。

もっとすごいのが、屋久島の西にあります。
薩摩硫黄島という島なのですが、この島は海がなければ実際には何千メーターという山で、
海からほんの少しにょっこり出ている島の部分はそのごく一部(山頂)なのです。
ほとんどが海の下にあって、しかも海の中にカルデラがあるのです。
この火山は7300年前の縄文時代に大噴火したのですが、
その時は火砕流が九州の半分を壊滅させ、すべての生物が死に絶えてしまいました。
縄文人もいたのですが、皆、死んでしまったといいます。
そのため鹿児島と熊本辺りには、それから数百年間は怖くて誰も住まなかったそうです。

そんな「恐ろしい」九州ですが、しかしそのおかげで良い温泉という魅力的なものがあるわけです。
鹿児島指宿や霧島温泉、さらには黒川温泉や大分の別府温泉、湯布院なども有名ですし、
佐賀の武雄温泉に嬉野温泉……と挙げればきりがないほど、九州には良い温泉が無数にあります。
ただ、単に温泉が湧いていれば何でもいいかというと、そうではないと思います。

温泉(ホットスプリング)といえば、ニュージーランドにも火山があり、そして温泉があります。
ニュージーランド最大の都市、北島のオークランドから車で3時間くらいのところに
“ロトルア”という有名な温泉地があります。
間欠泉などもある観光名所で、私も数回行ったことがあります。
そこには日本人がやっている宿などもあるのですが、
残念ながらそれは日本人の想像するような「温泉旅館」ではありません。
ただの宿泊施設で、しかも基本的に温泉を使ったプールになっているのです。

ロトルアはラジウム鉱泉で世界的に有名で、
ヨーロッパ系移民や旅行者には湯治場としても人気があり、
泉質もアルカリ性、酸性、泥温泉といろいろあるのでとても人気があります。
一般の人も入れる温泉施設(スパ)もあるのですが、それらはやはり基本的にプールです。
四角いただのプールで、わびさびも風情もありません。
水着を着て入るのですが、正直に言って日本人にとってはあまり気持ちの良いものではありません。

私たち日本人にとって、温泉と言えばやはり「桶と手ぬぐいを持って裸で入る」ものでしょう。
どうせ温泉に浸かるなら、裸で入りたいものですね。
その温泉も、川の横の岩づくりの露天風呂で、蝉でも鳴いていたらもう最高です。
さらに、温泉旅館では美味しい料理に仲居さんの心づくしのサービスがあれば
もう極楽……これは日本だけが持つ素晴らしい文化ですね。

話を九州に戻しますが、九州は日本の歴史に深い関わりを持っているという点も見逃せません。
近現代においては、幕末には鹿児島の薩摩藩と九州ではないですが山口の長州藩、
毛利家の下級武士たちが明治維新を起こしました。
そして明治維新後は、陸軍は長州藩が、海軍は薩摩藩の武士たちが
それぞれトップとなってその礎を作ったのです。

また、日本が欧米列強に比肩するに至った日露戦争の時には、
鹿児島出身の山本権兵衛という海軍大臣が軍部の大改革を断行しました。
驚くべきは、その改革の内容です。
幕末から明治維新に大きな功績をあげ、
当時高い地位にいた将官や佐官など名だたる幹部たちであっても、
これからの海軍に必須となる最新の戦艦や戦術などの知識がない人材は全員クビを切り、
その代わりに海軍兵学校を出て、きちんと近代的な知識を持った人間を登用して行ったのです。

彼は日清戦争後、「将来、必ず日本とロシアが戦争になるだろう。
その時には海戦がカギとなるだろう」と言っていました。
日清戦争の当時といえば、権力は陸軍が圧倒的であって、海軍を従えていた時代です。
そのときすでに海軍の重要性を知悉し、そして大胆なリストラを断行し、
さらには足りない軍艦を外国と交渉までして揃えたのですから、
恐るべき慧眼と圧倒的な実行力にはただ感服するほかありません。
薩摩とは、すごい人材を輩出する土地だなとつくづく思います。

一方の長州藩は、明治政府下で陸軍を牛耳っていましたが、
高杉晋作や大村益次郎のように本当の戦略と面白味を持った人間が若くして亡くなった後は、
薩摩のような傑物には恵まれませんでした(高杉晋作は27歳で肺結核で、
大村益次郎は45歳で暗殺されて亡くなっています)。
その後、高杉晋作に代わり騎兵隊軍監として活躍した山縣有朋が陸軍を率いたわけですが、
明治の強権国家を作ろうと躍起になり、「山縣閥」という軍閥ができ上がって行くことで、
やがて軍部暴走と太平洋戦争という暗い時代を作っていくのです。

当時の軍隊の映画なんかを観ると、陸軍は「~であります!」と言っています。
なんといかつい言い方だろうと思ったものですが、あれは実は山口(長州)の方言だったのです。
いかにも硬直した、強権的な組織だったことかが、その点一つとってもうかがい知れます。
正直、私に言わせれば山縣有朋は幕末の志士とは比べるべくもない小者ですね。

 

小学生の時からのペンフレンド、久木迫さんと。
今でも年に何度か逢う仲で、海外旅行にも何度も一緒に行っている。
その上、私の薦める温熱を理解してくれ、
今では自身で温熱サロンを経営しているほどだ。

(2020年8月 鹿児島県 霧島市にて)