前回に続いて対馬の話をしたいと思います。
それは、お土産屋さんでの出来事です。
私の父親は現在94歳で、少し年下の母と茨城県で仲睦まじく暮らしています。
その2人に対馬の美味しい魚を送ろうと思ったのです。
すると、たまたま車で通りかかった港にまさにうってつけの海鮮を中心としたお土産屋さんがありました。
新鮮で、しかも安い魚がたくさんあったので、まさに爆買いと言わんばかりに
買い物かごを一杯にしてレジに行きました。
私は地方に行った際は、ご当地のお土産をいつも大量に購入して宅急便で自宅や実家に送ります。
ですから、その時も当たり前のようにレジの人に、「宅急便でお願いします」と頼みました。
すると仰天、「宅急便はやってないよ」と言われたのです。
人生で一番驚いたとは言いませんが、驚きで思わず「えっ!?」と声が出てしまいました。
どんなへき地でも、基本的に日本国内のお土産屋さんでは
冷凍も含めた宅配サービスを実施しているものだと思っていました。
店側としても、やって損はないでしょう。
観光に力を入れる北海道では、どんな田舎でも宅配サービスがあるのではないでしょうか。
私は正直、あまり良くない意味で「商売っ気がないのだな」と思い、ある意味、感動しました。
結局、買い物かご一杯だった魚を冷凍庫に戻し、イカの燻製など乾き物を中心に買いました。
本当は2万円くらい買う予定だったのですが、3000円で済んでしまいました。
でも新鮮な魚を買えずに残念でしたし、店側も収益機会を失ったわけです。
誰も得をしていません。その時は、「何でなのかなぁ?」と特に気にも留めませんでしたが、
取材を進めるうちに後からいろいろな仮説が浮かび上がりました。
前回も触れましたが、対馬滞在の最終日にこの島を長きにわたって統治していた
宗(そう)家の菩提寺(お墓)を見に行ったのですが、そのあまりにも立派な姿にびっくりしました。
あれだけの立派なお墓、下手をすると将軍家のそれよりも立派なお墓を作れるということは、
莫大な富があったという証拠です。宗家には、どうしてそれほどの富があったのでしょうか。
日本はペリーが来航するまで本土の東側、つまり太平洋はただの海でしかなく、
「何もない」という認識でした。東側からは文明は来なかったのです。
必ずと言っていいほど、文明や文物は朝鮮半島、もしくは大陸(中国)からやって来ていました。
あるいは、さらに西方からシルクロードを通り、最後は朝鮮半島か中国を経由して渡来してきたのです。
そうすると、西端に位置する対馬は、必然的に交易の拠点となる運命でした。
現在では軍事上の要衝というイメージが強いかもしれませんが、
かつては今以上に経済面でも要衝であったのだと思います。
さらに対馬には、銀山もありました。
もしかすると宗家は、日本の大名の中でもトップクラスの財力を誇っていたのかもしれません。
それほど、すごいお墓でした。 |