天国と地獄
 

2019年11月15日更新

第111回 対馬への弾丸取材<その1>

 

皆さん、こんにちは。今回は緊急で、ある大切な話をしたい思います。
実は先日、長崎県の対馬に行ってきました。
対馬は東西に80キロ以上ある島で、東西と言っても斜めになっていますので
南北と言った方がよいかもしれませんが、すごく大きな島なのです。
そしてその位置は、長崎県と言っても福岡県沖にあり福岡が最短距離の都市になりますが、
それでも130キロ離れています。反対に、韓国の釜山からは50キロしか離れていません。
日本より韓国の方が近いのです。

その国境の島、対馬の歴史は決して順風満帆であったとは言えません。
ご存じの通り、国境であるがゆえ、対馬は歴史的に多くの事件に巻き込まれてきました。
いわゆるモンゴルが攻めてきた時(元寇)には、ほぼ壊滅しました。
それから、これは私も知らなかったのですが、
蒙古襲来から140年後の室町時代の応永26年(1419年)に、
時の王朝であった李氏朝鮮の国王・太宗の命で朝鮮軍が攻め込んできました。
「倭寇討伐」を口実に、対馬の占領を目論んでいたとも言われています。
また、豊臣秀吉(朝鮮征伐)の時代には、基地の役割を果たしました。
そう、言わずもがな対馬は歴史的にも軍事的な要衝なのです。
現代風にたとえると、「対馬海峡に浮かぶ不沈空母」です。

ご存じのように、現在、日韓関係は極度に悪化しています。
日韓は厳密には同盟関係ではありませんが、米国を介した準同盟(友軍)関係にありました。
しかし、現時点ではそれすらも怪しい状態です。
そうした状況下で、ある不穏な噂を耳にしました。
それは、韓国軍が対馬占領計画を持っているというものです。
本当にやるかやらないかは別にして、韓国政府、あるいは軍部が将来的に
対馬を奪取しようと考えていても不思議ではありません。

噂の真贋はさておき、対馬の歴史について簡単にお話します。
かつての対馬は、代々「宗(そう)一族」が支配してきました。
宗家は江戸時代の大名です。
私は三日間という短い取材期間の中で、どうしてもその宗家のお墓を見たいと思っていました。
ガイドブックでもおすすめされていたので見に行ったのですが、まさに仰天しました。
万松寺という古色蒼然のお寺の脇にある長い階段を上っていくと、宗家のお墓があります。
万松寺も長い階段も、そして宗家のお墓も決して手入れが行き届いているとは言えません。
しかし逆にそれが良く、とても風情があるのです。
あまりお目にかかることのできない神秘的な場所でした。
竹林の中の長い階段を上り終えると、壮大な墓の群れに出くわします。
「将軍家でもこんなに立派なお墓は持っていないだろう」というような、壮大なお墓が現れました。
私はそれを見てすぐにわかりました。
対馬には銀山もありましたが、かつての対馬は恐らく朝鮮半島との交易で
信じられないような富を築いていたのだと。
私たち本土の者は対馬を辺境の地くらいにしかイメージしていないかもしれませんが、
昔はそうではなかったと思います。大陸(中国)と朝鮮半島が目の前にあるわけですから、
多くの情報や富が舞い込んできたのではないしょうか。
そして、要衝であるがゆえにどこの国も欲しがったのでしょう。

さて、島の北部から1.5キロほど先に海栗島(うにしま)という航空自衛隊の基地があります。
これこそが、対馬は日本が統治しているという象徴であり、
私が見た際は大規模な工事中でしたが基地には大きなレーダーなどがあり、
しっかりと朝鮮半島を睨んでいるようでした。
かつては朝鮮半島の脅威と言えば北朝鮮のみでしたが、
個人的には現在では韓国も友軍ではないと感じています。
もちろん、日米は強固な同盟関係にありますが、
先ほども述べたように昔から日本と韓国は友軍であって、厳密には同盟関係はありません。
それが今や「ひょっとしたら敵かな」という状態になっています。
韓国軍は日本を盗聴していることでしょう。

現地で撮影した写真を掲載します。
私がびっくりしたのは、半島側の丘の上にある「韓国展望所」という
「韓国が見えますよ」という施設についてです。
その外観が、まさに韓国式の建物なのです。
当初、私は自衛隊から許可をもらって海栗島に行きたかったのですが、
行くと決めたのが1週間前だったので叶いませんでした。
仕方なく韓国展望所からなら見えるというので、望遠レンズを持参して写真を撮りました。
展望所には「韓国が見える」という強力な双眼鏡が置いてありましたが、
なんと、それで見ると海栗島にある航空自衛隊の基地が丸見えなのです。
「まぁ、日本という国は無防備だな」とつくづく思いました。外部は本当に丸見えです。
北朝鮮とか中国のスパイが観光客として来て情報収集しているのかな、などと勘ぐってしまいました。

島の最北部に韓国展望所があり、そこから海を隔てたさらに北側に海栗島があるのですが、
それより少し下がった東側に比田勝(ひたかつ)という町があります。
そこが対馬の第3番目の街なのですが、そこが今、とんでもない経済的状況に置かれています。
昨年の韓国からの観光客は41万人もいたそうですが(そしてその8割以上が比田勝港からの入国)、
日韓関係の悪化に伴い今年の6月頃から観光客は急減し始め、
10月はなんと「前年比98%減」という壊滅的な状況となっているというのです。
韓国からの観光収入を見込んで、街のホテルや民宿、小売店、レンタカーやバス会社が
ここに来て投資を加速させていたといいます。新規開業した人も少なくありません。
「韓国バブルが弾けた」と一言でいうのは簡単ですが、
売り上げの50%減でも一大事であるのに、9割以上も売り上げがなくなってしまったら、
もうどうしてよいかわからないことでしょう。

私は、実際に対馬で事業を営んでいる複数の経営者の方にお話を伺いました。
聞くに堪えぬ惨状でして、売り上げがないため従業員の給与を
自身の持ち出しで賄っているなど事態は深刻です。
こうした状態が続けば、あと1年ももたない、というのが現状ではないでしょうか。
もちろん、「一部の地域のために国政の方針を変えるわけにはいかない」
という意見はあってしかるべきです。
韓国側も、日本への観光客減を政治カードとして使っているように思います。
現地の人たちも「そもそもの原因は、韓国側にある」と言っていましたが、
それでも客数の9割減というのは何とかならないものかという心情を吐露していました。

このブログを見た人の中にも
「日本国内から観光客を誘致すればよいじゃないか」と思う人もいるかもしれません。
現地の人も、「韓国バブルに乗ったお前らが悪い」という意見を
外部の人から言われることも少なくないと漏らしていました。
かつての対馬では300億円規模の漁獲高があったようでしたが、
現在では約半分にまで減り、ほかの地方と同様に過疎化に苦しんでいます。
人口流出が激しく、最盛期の半分にまで減ってしまったようです。
そこで見出したのが、韓国からの観光客誘致だったようです。
それが一気に9割減ですから、「国益のため」と簡単に割り切れる問題ではないでしょう。
私は政治家ではありませんが、皆さんのお気持ちを伺った手前、
できる限りのことをしようと私の知っている与野党の政治家にも伝えました。
さらに毎日新聞の元取締役にも知り合いがいるので、
その彼が西部本社(九州のことをそう呼びます)のトップを知っているというので、
その人たちに取材だけでもして欲しい、全国版に取り上げて感心を持ってもらいたい、
というお願いもしました。

対馬の現状を知り、複雑な思いがしました。
韓国政府のやり方は明らかに間違っているが観光客には来て欲しい、
防衛上の最前線であることは理解しているが、反面、ある程度は韓国と仲良くしたい、
という現地の方の気持ちを察しています。
軍事的な要衝であるがゆえ、たとえば自衛隊の人数をもっと増やすなりして、
ひいては現地の経済振興を図るのはどうでしょうか。

次回も、もう少し詳しく対馬情勢をお話ししたいと思います。

対馬は、福岡県の玄界灘沖にある島である。
思っていた以上にその面積は広く、
歴史的に近隣国からも
軍事上の要衝になると目されてきた。

(2019年10月 長崎・対馬にて)
対馬にある「韓国展望所」から
海栗島にある航空自衛隊の基地を
展望所に備え付けてある強力な双眼鏡で見ると、
なんとその様子が丸見えだった。
防衛上、大丈夫なのか!?
コンビニ含め、商店は
どこも韓国人旅行客狙いだった。