天国と地獄
 

2019年9月5日更新

第104回 その後のアメリカ取材<その1>

 

前回は私が「NORAD」の他、アメリカの最高機密である
「地下司令部」や「空飛ぶ核戦争司令部」などを取材し、
最後に『破滅へのウォー・ゲーム』(KKダイナミックセラーズ刊)
という本を出版できたということをお話ししました。

一つ余談があります。
2回目のアメリカ取材の時です。
1回目はNORADの取材だけだったのですが、2回目は“戦略空軍”を取材しています。
NORADの役割は“警報を出す”ことですが、この戦略空軍は本当にソ連を核攻撃する部隊です。
普通の空軍とは違う組織で、現在の主力はB-1Bという爆撃機ですが、
当時はB-52(今も使われています)という非常に大きな爆撃機を使って
ソ連本土まで飛んで行って核爆弾を落とすのです。


 

“レッドテレフォン”を使って、
核部隊に実際に「警戒指令」を
出して見せる戦闘幕僚(中央)。
巨大スクリーンを前に、
戦闘幕僚たちが
現在何機のB52が発射可能かを
チェックしている(右下)。

もう一つはミサイルです。
アメリカの中西部の荒野の中にたくさんの「地下サイロ」があります。
普段は重さ20トンのコンクリートの塊が上に乗っていて、
相手から核攻撃を受けても直撃でなければ地下が壊れないようになっています。
逆にこちらが発射する際には、爆薬を使用してそのコンクリートの塊をポーンと飛ばし、
次の瞬間、下からミサイルが出てくるという仕組みになっています。

これらミサイル群を統括しているのが戦略空軍であり、
その地下司令部はネブラスカ州オマハにあります。
NORADがちょうどアメリカのど真ん中のコロラドスプリングスにあり、
そのもう少し東にネブラスカ州オマハがあります。
オマハというのは、確かテレビドラマにもなった
「大草原の小さな家」の舞台になったところだと思います。
私が行ったのは1986年だったと記憶していますが、
当時のアメリカでは今のようにIT産業が発展していませんでした。
むしろ、アメリカが疲弊していた頃です。
それゆえ、どこに行っても私を出迎えてくれる広報の車はボロボロでした。
給料も安かったことでしょう。
反対に、日本はこれからバブルに突入して行くというタイミングでした。
ですから、NORADの広報の人によく食事をご馳走したものです。

現地に行くまでは、オマハは戦略空軍の地下司令部がある所ですから
すごいところだと想像していました。
ところが、とんでもない田舎だったのです。
空港も閑散としていましたし、はっきり言って何もない町でした。
それなりに人は住んでいますが、
「本当に、こんな所に地下司令部があるのか」と不安になったほどでした。
どう見ても私以外によそ者はおらず、ましてや日本人なんて一人も見かけませんでした。
ただ、今はあることで有名です。「オマハの賢人」(オマハの賢い人)と呼ばれ、
世界一の投資家と称されるウォーレン・バフェットが
自身の会社・バークシャー・ハサウェイを置いているためです。
彼の会社の株価は、1965年から2015年までの50年間で約2万倍になりました。
そして、年に1回そのオマハで総会が開かれるため、
世界中から投資家がやって来るのです。
そのため、今はオマハと言えばバフェットのイメージと重なって、
聞き覚えがある人も多いようです。
しかし、当時はまだバークシャーもそこまで大きくなかったこともあり、
ただただ田舎でしかなかったことを覚えています。

そのあと一度デンバーに戻り、飛行機を乗り継いで戦略空軍の基地に行きました。
私もそれまで知らなかったのですが、
世界中にある戦略空軍の基地の中でも、
私が訪れたサウスダコタ州のラピットシティというところにある
「エルズワース空軍基地」が世界最大の基地でした。
本当に小さな町で何もないところなのですが、
なんとデンバーから一日に数便の定期便が飛んでいるのです。

何もないとは言うものの、後でガイドブックを読んでわかったのですが、
何とその町の郊外には、日本人でも知らない人はいないほど有名なものがあるのです。
4人の大統領の顔が山腹に刻まれている、
あのマウント・ラッシュモア(国立記念碑)があったのです。
ワシントン、ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、リンカーンと
アメリカを代表する大統領が刻まれています。
次に彫られるのは誰かといつも噂されていますが(レーガンではないかとされています)、
現在のトランプ大統領は、そこに顔を彫られたいと思っているに違いありません。

それはさておき、なぜそこに行ったかというと、目的が二つありました。
ひとつは「空飛ぶ核戦争司令部」(LOOKING GLASS)の取材です。
一見すると普通の飛行機ですが、
いろいろ改造してありまして中に核の発射装置が積まれています。
そこには必ず将軍が乗ることになっており、
その発射ボタンを押すと地下にある核ミサイルを発射させることができます。
何百基か発射されたら、それこそ世界は終わります。
NORADや戦略空軍の地下司令部の場所は特定されていますから、
核戦争になった場合は真っ先に標的となる可能性が高く、
仮に何十発もの核爆弾が落とされたらさすがに壊滅することでしょう。
そうなると、通信網も途絶えてしまいます。

そこで、何かあった時に最後まで生き残れる司令部がなければいけません。
それが、当時はボーイング707機でした。
私が20歳の時にヨーロッパへ行った時に乗ったものと同じです。
その当時は、大韓航空の旅客機で羽田から金浦空港(当時は金浦しかありませんでした)で乗り継ぎ、
(当時はソ連上空が飛べなかったので)アラスカ経由で北極を超えてパリまで行ったものです。
その当時の707は、エンジンが4機付いているのにも関わらずとても小さく、
150~200人位しか乗れませんでした。
しかしジャンボ機が出るまでは、それがボーイングの一番主力の旅客機だったのです。
それを改造したもので、中には二人のパイロットと戦闘幕僚が十数名、
通信兵、そして将軍が乗っていました。
核戦争をやるためのものなので、
方々で核爆弾が爆発している状況でも戦争を遂行できるようになっています。
核戦争が勃発すると、いわゆるEMP(電磁パルス)というすごい電磁波が発生して
通信機材が使用不能になるとされています。
それで無力化されないように、特殊な防護剤で機内を囲っています。
ですから、中は真っ暗です。
核攻撃の中を飛びながら核戦争を最後までやり抜く、そういう使命を負った飛行機なのです。


 

私が経営する会社と
面倒を見ている会社等の
社員・総勢約25名をつれて
半期に一度の納涼会へ。
会員様のご手配で、
普段なかなか行けない
高級料亭での大宴会に一同大喜び。

(2019年7月 東京にて)