天国と地獄
 

2019年8月19日更新

第102回 忘れられないNORAD取材<その5>

 

さあ、いよいよNORADの「最高司令部」に入りました。
そこは2階建てになっていて、ドアを入ってすぐ左側に「バトルバルコニー」(戦闘バルコニー)があります。
ガラス張りの部屋で、中には椅子が7つか8つありました。
まず、NORADの最高司令官であるアメリカ軍の空軍大将が座る椅子が一つ、
そして、現在はわかりませんが当時NORADはアメリカ軍とカナダ軍の合同部隊でしたので、
カナダ軍の空軍中将が副司令官をしていたのでその人の椅子が一つ、
それ以外に何人かの将軍が座れるようになっていました。
その狭い空間で、ソ連とアメリカが核戦争をする時(当時、中国は脅威ではなくソ連が対象でした)、
本当にソ連からの核攻撃かどうかを判定して、核戦争をやるかどうか、
そしてやるとしたらどういうタイプの戦争をするのかを、協議しながら決めるのです。
ですから、世界の運命を決める「最後の部屋」といってもよい重大な部屋なのです。
普段アメリカ大統領は、ワシントンD.C、国会議事堂、ホワイトハウス、
あるいは外交のための移動手段としてエアフォースワンに乗っていたり、
あるいはどこかのゴルフ場にいたりします。
ですから、実際に核戦争をする時にNORADに大統領がいるということは、基本的にはありません。
将軍が決断をして、大統領に
「どうもこれは、ほぼ間違いなくソ連からの核攻撃が始まりました。どうしますか?」と連絡をとるのです。
そして、大統領が核での反撃を指示することになります。

その部屋の脇に階段があり、そこを降りると1階です。
2階からはガラス越しに下が全て見えます。
そして1階には戦闘幕僚という、いわゆる核戦争をやるための実務を行なう部隊である将校たちがいます。
その戦闘幕僚の一番トップは「大佐」、一番下は「少尉」です。
皆さんご存知かもしれませんが、軍隊の場合の階級というのは、一番上は「将軍」です。
将軍というのは「大将」「中将」「少将」その下に「佐官」というのがいまして、
「大佐」「中佐」「少佐」がそれにあたります。
現在の自衛隊ではそういう言い方はせず、「一佐」「二佐」「三佐」というようです。
また、たとえば航空自衛隊では「大将」「中将」に相当する「空将」、
「少将」に相当する「空将補」という言い方をし、「大将」「中将」「少将」という言い方はしていません。
先ほどの佐官、つまり「少佐」の下には、「大尉」「中尉」「少尉」
(自衛隊では「一尉」「二尉」「三尉」という言い方をしています)と続き、
その下には普通、「軍曹」や「兵曹」などがいてその下に一般の「兵隊」がいます。
この階級でみますと、おそらくNORADには少尉以上の士官がいたと記憶しています。

話を戻しますが、1階には戦闘幕僚が11名いて、目の前には丸い制御装置があり、
彼ら全員の前には巨大なスクリーンがあってアメリカとソ連の2枚の地図が出ていました。
私が内部に入るまでに画面は機密でないものに変えられてしまったようですが、
通常作戦行動時は、アメリカのどこに何基のミサイルの発射体制が整っているか、
ソ連側はおそらくどこどこに何基、あるいは爆撃機がどこにあるかなど、
よく映画に出てくるような図が出ているのです。
その図を見ながら戦争を進めて行くわけです。
この「最高司令部」というのは、他の場所と比べても特に暗いのですが、
それはおそらくその図を見るためだと思います。
大きなスクリーンふたつとコンソールを全員が見て、
ソ連とアメリカの核兵器あるいは核ミサイル、核爆弾を乗せた爆撃機がどこにあるか、
どう使うかを判断していくのです。それを映画館のような暗闇の中でやるのです。

私は2階の「バトルバルコニー」、つまり将軍たちが入る間には入れてもらえたのですが、
上記の1階には降りることを許可されませんでした。
1階には軍事機密のものがたくさんあったこともあり、取材は2階の「将軍の間」だけでした。
取材の際、写真を撮るのが本当に大変でした。
そこはかなり暗くて、フィルムも高感度フィルムを使いました。
当時はだいたいASA(フィルム感度の米国規格基準)で言うと、
100が標準で400というのが高感度フィルムと言われていました。
その場所では400を使ったのですが、
それでもフラッシュをたいてしまうと目の前しか写らず、遠くは写りません。
そのため、基本的には自然のライト(照明)のまま苦労しながら撮りました。
デジタルですと、写した瞬間にちゃんと綺麗に撮れたかどうかチェックできますが、
当時はフィルムですから現像するまでわかりません。
ですから、何段階にも分けて撮ります。
明るい状態、絞り込んだ状態、シャッタースピードを変えてみたりします。
そして、そのうちのひとつでも良いものがあれば、という思いでシャッターを切り続けました。
1枚を撮るために10種類位にわけていろんな撮り方をするわけですから、結構な時間がかかりました。

さて、「将軍の間」の全景を撮ろうとした際、何かを見つけました。
そこには将軍の座る椅子があり、その前に長いテーブルがありました。
ただし真っ暗なので、何が載っているかはわかりません。
三脚を立てて構えた時、肘にごつごつしたものが当たりました。
「なんだろう?」と思い、邪魔なので肘で「あっち行け!」というようにガンガン小突いていたのです。
後でライトをつけてくれたのですが、よく見るとそれはなんと大統領、
つまりホワイトハウスと核戦争の決断をするための最後の電話といわれる
「ゴールド・テレフォン」だったのです。それは、本当に金色でした。

「ゴールド・テレフォン」は、大統領への直通電話です。
その横が「レッド・テレフォン」で、これまた本当に真っ赤でした。
これは、戦略空軍(SAC)への核攻撃命令を伝達する重要な電話です。
つまり大統領と「ゴールド・テレフォン」で直接やりとりして、
たとえば、「プランBで行こう」あるいは「パッケージ①で行こう」とやり取りします。
いちいち一発ずつ、どのミサイルを発射するのか決めるわけではなく、
ソ連へ全ミサイルを発射するのか、一部だけ発射してソ連の軍事施設だけ攻撃するのか、
あるいはモスクワだけ狙うのか等、パッケージが決まっているのです。
ソ連本土から発射されるICBM(大陸弾道ミサイル)であれば、
30分でアメリカ本土に到達してしまいます。
さらに、ワシントン沖合何百キロに潜んでいるソ連の原子力潜水艦からの
SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)であれば8分、9分で飛んでくると言われています。
ですから、核戦争が始まったときは時間との勝負なのです。
その時、いちいち細かいことを決めていられませんので、
そのためにパッケージになっていると説明を受けました。

いずれにしても、「ゴールド・テレフォン」で大統領と核攻撃するかどうかを決めて、
その次に「レッド・テレフォン」で実際に攻撃する部隊にどういう攻撃をするかを伝えるのです。
その他にも、基地内の他の部屋との交信に使うブルーなど、6種類の色の電話がありました。
もちろんその中には黒い一般電話もあり、
将軍が今日の夜にレストランに行きたいと思ったら、
「今日は7時から3人で行くから予約をとっておいてくれ」と
黒い一般電話からレストランに連絡するという、日常生活のための平和な電話もありました。

とにもかくにも、私は暗闇の中で大統領直通の「ゴールド・テレフォン」、
つまり世界一危険な電話を「こいつ邪魔だな」と、肘でゴンゴン小突いていたわけです。
ライトがついてから「あれ、やばい」「まさか俺、壊していないよな?」と心配になり、
知らんぷりしていました。
もし、壊していたら大変なことです。アメリカは、核戦争ができなくなるのです。
当日は、アメリカ軍の総司令官である空軍大将が大統領と話があるということで
ワシントンに行って不在だったため、
「将軍の間」にいたのはカナダ軍の副司令官
(階級は中将。そういう場合には彼が全てそこで最終決断をします)と広報と私の3人だけでしたが、
結局30分間そこにいていろいろな写真を撮らせてもらい、いろいろな話を聞くことができました。
取材はそこが最後だったのですが、終わるともう午後の3時近かったと思います。
いずれにしてもNORAD滞在の数時間は異常なほど緊張していました。
普通の人が絶対見ることができない極秘のものを撮影させてもらって説明を聞けたことは、
今でも私の人生で一番感激、感動したことの一つとなっています。

取材が終了し、将校たちが食事をするカフェテラスでコーヒーをご馳走になりました。
そこで不思議なことが起きました。
広報のミセス・コーミヤーが私のことをまじまじと眺めて、顔を覗き込んできたのです。
そこで「どうかしましたか? 顔に何かついていますか?」と尋ねたところ、
「いやいや、違います。あなたは一体、どういう人なのですか?」と言い始めたのです。
どういう人なのかと言われても、思わず「どういう意味ですか?」と聞き返すしかありません。
すると「実は、あの部屋にはいままでアメリカのマスコミも含めて多くの人が入りましたが、
30分もいることができたのはあなたが初めてなのです」とおっしゃるのです。
よく聞くと、通常の滞在時間は、せいぜい3、4分程らしいのです。
確かに最高機密の部屋ですし、ソ連と24時間体制で核戦争をめぐる
「ウォーゲーム」を展開しているのですから、
長時間一般人を部屋に入れたり詳しい説明をしたりすることは通常はあり得ないのです。
そういう事情から、ミセス・コーミヤーは不思議に思って質問をしたようで、
続けて「あなたは、何か特別な人間なのですか?」と聞いてきました。
「いや、ごく普通の人間です」と答えたところ、とても不思議がっていました。
というわけですから、部外者であの最高機密の部屋に30分もいた人間というのは、
世界でも私ぐらいかもしれません。
今でもどこに何があったか、はっきりと覚えています。
それほど長くいられた理由には、事前準備をしっかり行なったことが関係していることでしょう。

そう、私はかなり綿密に事前に勉強をしていました。
実は、普通の人は「ゴールド・テレフォン」の存在自体を知りません。
私がなぜ、そんなことを知っていたかと言うと、
アメリカは不思議な国で、そういったことを詳しく書いた本がちゃんと公刊されているのです。
「戦闘幕僚」という言葉や、2階に「戦闘バルコニー」があり、
そこに「ずらーっ」と電話が並んでいること、
そしてその使い道についても細かく書いてあるのです。
そういったことを調べる専門家までいるのです。
また、アメリカ議会には上院軍事委員会というものがあり、
アメリカの議員達がNORADの将軍を呼んだり、
あるいは陸軍の将軍を呼んだり、あるいは誰か別の軍事関係者を呼んだりして、
何か問題があった時などに質問するのです。
その上院軍事委員会の記録も、できるだけ読んでから取材に行ったのです。

英語ですが、専門用語さえわかればそんなに難しくはありません。
逆に、英文の小説などの方が俗語も入っていますし、
人間の気持ちなどを表すものだから難しいかもしれません。
それに対して軍事関係の記録や文章というのは、
専門用語さえわかってしまえば比較的単純な文章で書いてあるのです。
ですから、取材中に驚かれることも度々でした。
「おまえ、なぜそんな事まで知っているのか?」「どうやって勉強したの?」と。
そのように話が盛り上がったことで、
普通では考えられない30分の滞在が可能になったのかもしれません。
取材が決まったのは急でしたが、勉強はずっとしていたのです。


 

NORADの最中枢である「作戦司令部」。
2面の大型スクリーンを前に
「戦闘幕僚」たちが24時間体制で
“ソ連による第三次世界大戦開始の兆候”
を監視していた。
いまの仮想敵国はロシアか、中国か、イランか、
はたまた北朝鮮か? 

     

 

忙しい取材日程の中でも、
自然と芸術にはなるべく
目を向けるようにしている。
日本にいても、
世界の芸術に触れることができる。
皆さんも時間を見つけて
足を運んでみて頂きたい。
いろいろな気付きが得られるはずだ。

(2019年6月 青森県立美術館にて)