天国と地獄
 

2019年8月5日更新

第101回 忘れられないNORAD取材<その4>

 

前回に続いて、NORAD内部の話を続けます。
「宇宙監視センター」は、20名くらいのスタッフがいて、
世界の全ての人工衛星を監視しています。
特に、当時の仮想敵国であったソ連に対して攻撃衛星などの現在位置や
軌道を常時監視しているのです(当時、中国はまだ現在のような大国ではなかったので、
重要な監視対象ではなかったと思います)。
比較的穏やかな雰囲気で、何でも撮影してよいと言われました。

施設の全景を含め、あちこちを撮影していると、掲示されているボードが目に入りました。
そこには今、彼らが監視している衛星の名前が全て表示されていて、それも撮影できました。
直径80センチくらいの丸いコンピュータ用コンソールがあり、
そこにいろいろな情報が映し出されていました。
机上には「classified」(機密)と書かれた書類が置かれています。
それらの書類は私が廊下で待たされている間に、
全て見えないように伏せられていました。
さらにコンピュータ画面に映し出された情報も機密ではないものに全て変えられています。
ただ、それらの書類の中には、隠したつもりがズレてはみ出しているものもあり、
中身が丸見えのものもありました。
もちろん、私が見ても内容はわからないのですが、その大らかさには少々笑えました。

「ミサイル警報センター」は、「宇宙監視センター」とは違い、異様な緊張感の漂う施設でした。
その恐ろしさはいまでも鮮明に覚えています。
ソ連との核戦争に備えミサイルの警報を出すセンターですから、
24時間常に緊張を強いられるわけです。
当然、管理体制も厳しく、上官は皆、銃を携帯しています。
もしも不穏な動きをする部下がいれば、直ちに射殺する権限を持っています。
誤認もしばしばあったようです。
人工衛星の破片や隕石をソ連の核ミサイルと間違えたり、
工場火災で発生する周波数がソ連の核ミサイルのエンジンが出す周波数と一致するなどして
警報が作動、「すわ、ソ連による核攻撃か?」と
大騒ぎになることも珍しくなかったといいます。
アメリカの上院軍事委員会という機関が公表する資料を見ましたが、
そういう誤認から核戦争になりそうになった事件が何回もありました。

室内の机にはやはり「classified」(機密)と書かれた膨大な資料がありました。
もちろん、中身が見えないように全て伏せてあります。
それにもかかわらず、ここのスタッフは書類に手を覆いかぶせ、
私に対する警戒を解くことはありませんでした。
「宇宙監視センター」と「最高司令部」では質問すればいろいろ答えてくれましたが、
「ミサイル警報センター」では一切答えてくれませんでした。
スタッフの目は血走り、他人を一切寄せ付けないような異様な雰囲気を漂わせていました。
私は、映画以外であんな人間は見たことがありません。
常に核戦争の危機に向き合い、想像を超える緊張感やストレスにさらされる中で、
精神の安定を保つのは容易ではないと思います。

コンピュータの弊害も感じました。
勤務中、常時コンピュータ画面で異変がないか監視したり、調査したりするわけです。
心身の健康に良いはずがありません。
精神的に不安定になっても不思議ではないでしょう。
私はパソコンやインターネットをあまり使いませんが、それはこの時の体験から来ているのです。

最後に訪れたのが「最高司令部」で、そこでは「将軍の間」に入れてもらいました。
その「将軍の間」では、一生忘れられない思い出があります。
それについては、次回お話ししたいと思います。


 

NORAD「ミサイル警報センター」の
ミサイル警報用TVスクリーン
(中央の大きな写真)。
左下も「ミサイル警報センター」の様子。
右下は「宇宙監視センター」。
人類がそれまでに打ち上げて
今なお軌道上にある4500個以上
(1984年当時)の人工衛星と
その破片を最新の「人工衛星カタログ」を元に
追跡・監視していた。
正面には任務の内容が掲示されている。

     

 

NORADを取材したのは、
私が30歳の時だった。
今でも現地取材は基本だが、
国内取材でも北は北海道から
南は沖縄・離島までくまなく見て回っている。
今年もすでに北海道、沖縄、九州、
そして奄美大島にも足を運んでいる。
今では私のクラブや勉強会の会員も
地方に大勢いらっしゃるので、
その対応も大切な仕事だ。

(2019年6月 
     秋田県奥入瀬渓流にて)