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2019年7月25日更新 |
第100回 忘れられないNORAD取材<その3> |
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取材の前日は緊張で一睡もできませんでした。
フラフラだったのですが、朝はモーテルで朝食をとりました。
そして、ミセス・コーミヤーは時間通りに迎えに来ました。
名前からすると、ポーランド系か東欧系、ロシア系でしょうか?
アメリカは移民の国ですから、一口にアメリカ人といってもいろいろな人がいます。
そう思いながらも、私はびっくりしました。
何にびっくりしたかと言うと、ボロボロのキャデラックに乗ってきたミセス・コーミヤーに、です。
当時のアメリカは、今と違ってITで世界トップレベルというわけでもなく経済もあまり良くなくて、
結構貧しかったのです。ですから車がボロボロなのは致し方ないとしても、
その車に乗ったミセス・コーミヤーは、何しろ見たことがないくらいの美人だったのです。
私が30歳くらいの時の話ですが、彼女は50歳くらいには見えました。
しかし、「映画俳優でもこんな人がいるかな?」というくらいに美しかったのです。
若いころはどれほど美人だったことか、想像も出来ないほどでした。
ですから、私は正直言って「これはCIAによる『ハニートラップ』ではないか」と疑った程でした。
「どうぞ、横に乗って下さい」と言われ、左ハンドルなので右側の助手席に乗り出発しました。
車がハイウェイに乗ると、その景色は雄大で素晴らしいものでした。
ハイウェイを一路南下して行ったのですが、
コロラドスプリングスはデンバーと同じ標高1600メートルくらいの町で、
右手にはロッキー山脈の3000メートル級の岩山が連なり、
そして左手にはその裾野がどこまでも広がっているのです。
本当に真っ平らで、何もないのです。
地球が丸い事が、実感としてわかるほどです。
こんな景色を見たのは、初めてのことでした。
十数分走ると、右手に見えるなだらかな山をのぼって行きました。
そしてそこには、「NORAD Cheyenne Mountain Complex」
(ノラッドシャイアン山特殊施設)と書いてあり、
「WARNING:Restricted Area Use of Deadly Force Authorized」
(許可なく入った者は射殺する)とも書いてあるのです。
「これは、ヤバい」と思いました。
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NORADはシャイアン山から70万トンの花崗岩を
5年がかりでくりぬいて作った地下要塞だ。
そのために使用したダイナマイトは、
なんと500トンにのぼる。
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トンネルの入り口から430メートル進むと、
厚さ90センチ、重さ25トンという
巨大な耐爆ドアが姿を現す。
左奥に同様のものがもう一枚あり、
その奥に地下都市が広がっていた。 |
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そこからまた10分程上がっていくと、巨大なパラボラアンテナ2基が出現し、
その前に正面ゲートがありました。
グリーンベレーのような特殊部隊が待機しており、
そこでカメラバッグから何から何まで徹底的に荷物をチェックされました。
最後に筆跡鑑定をして本人かどうかを確認し、
そのチェックが全て終わるとやっと中に入ることが出来ました。
正面ゲートからはバスに乗り込みました。
トンネルの入口までは、いまだかつて見たことのないような鉄条網に囲まれていました。
触っただけで手がギザギザに切れそうなくらい鋭い、獰猛なすさまじい鉄条網がずっと続きます。
要塞のトンネル入口までは150mくらい、
そしてトンネルから4、500mくらい入ったところは、もう「NORAD」の入口です。
そこには、核戦争の爆風を避けるための重さ20トン、厚さ3mくらいの
信じられないような耐爆ドアが2枚あり、その奥に地下要塞がありました。
そこにも武装警備兵がいました。
写真を取りましたが、暗いのでどれくらいの明るさにすればよいか、露出がわからないのです。
ですから、何回も何回も露出を変えて撮りました。
そのうちの1枚でも当たればよい、という気持ちでした。
いろいろなところで露出を測り苦労して写真を撮った後、いよいよ中に連れて行かれました。 |
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耐爆ドアは25トンの重量にもかかわらず、
わずか30秒で自動的に開閉する。
左下は核爆発の衝撃から
コンピュータを守るための
巨大なバネ。
15あった鋼鉄製の建物は、
すべてこのような巨大なバネの上に乗っていた。 |
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NORADに入って一番びっくりしたのは、全ての建物が“バネ”の上に乗っているということです。
バネといっても小さなコイルではなく、
高さが90cmか1mくらいでバネの太さは6cmくらい、渦が1mから1.5mくらいの巨大コイルです。
その巨大コイルの上に全てが乗っているのです。
「これは、何なのですか?」と聞いたところ、
核戦争になった場合、ソ連が何十発という核弾頭をここ(NORAD)めがけて打ち込んでくることが想定され、
そうなるとこの山が揺れるので中の電子部品が壊れないようにしているのだというのです。
もう、SF映画の世界です。
最初、まず将校が行くカフェテリアに連れて行ってもらい、そこで少しお茶を飲みました。
それから、人類の運命がそこで決まるという、
核戦争をするための3つの最高機密の部屋を取材に回りました。
3つの最高機密の部屋とは、
「宇宙監視センター」、2つ目が「作戦司令部」、3つ目が「ミサイル警報センター」です。
建物の中に入って行ってさらにびっくりしたのは、
どこもかしこも真っ白で、何も書かれていないのです。
「右に行けば〇〇の方向」といった案内板もなく、何もわからないのです。
そして、右に行ったり左に行ったり、上がったり下がったりもうぐちゃぐちゃで、
そんな中、途中で通路がわかれていくのです。
中の地図なども、一切ありません。
つまり、スパイが潜入しても目的地にたどり着けないようになっているのです。
内部をよほど詳しく知っている人間以外は、迷って出られなくなることでしょう。
「すごいな。こういうことを考えているのだな」と思いました。
一般の人よりは大分方向感覚の良い私でも、どこをどう連れて行かれたのか全くわかりませんでした。
そんな中、まず最初に取材したのは「宇宙監視センター」でした。
部屋の前に立って驚いたことに、この部屋のドアには”取っ手”がないのです。
つまり、外から開けられないようになっているのです。
中からしか開けられません。扉にはスコープがついていて、
その横には電話と暗証番号を押すところがありました。
担当者が暗証番号を押す際、「絶対に見ないように」と言われ反対側を向かされました。
音でその暗証番号が8桁であることがわかりましたが、
暗証番号を押してから電話で部屋の中と「〇〇だな」とお互いを確認するのです。
そしてさらにコード番号のようなものを言い、
スコープで最終確認するとやっと中からドアを開けてもらえるのです。
最中枢である「作戦司令部」は2階建てになっていて、
1階は大佐以下中尉くらいまでの戦闘幕僚、
ソ連との核戦争をするための細かいオペレーティングをするスタッフがいます。
そこから階段で2階に上がると、そこはガラス張りになっていて全てが見渡せるようになっています。
そこは「バトルバルコニー」といい、最後の決断をする将軍たちのスペースです。
その中に入ることができました。
「作戦司令部」は映画館くらい薄暗く、人間の顔の判別も難しいほどで、
それもあってか緊迫した雰囲気が伝わってきました。 |
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右上は衛星通信用の巨大パラボラアンテナ。
右下は当時の日本の電離層観測衛星
「うめ2号」の軌道をボタン1つで見せてくれた
「宇宙監視センター」のスタッフ。
左上は「作戦司令部」の2階にある
高級幕僚のための「コントロールルーム」。
常時、将軍級の軍高官が複数名詰めており
「ソ連の核攻撃」か否かの最終判断を行なう。
ペンタゴンへのホットラインもここにある。 |
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朝の9時30分くらいから取材を始め、終わったのは午後の3時くらいだったでしょうか。
途中、お昼にはサンドイッチか何かご馳走にもなりましたので、
実質的に取材していた時間は4~5時間だったと思います。
相当長時間、取材させてくれました。
*写真は全て当時現地で浅井隆が写したもの。
『破滅へのウォー・ゲーム』というタイトルで、結城馨というペンネームで出版した書籍より転載。 |
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NORAD取材当時の写真。
当時、NORADを取材して上梓した
『破滅へのウォー・ゲーム』が
専門家から高い評価を受けた。
(1990年撮影) |
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