天国と地獄
 

2019年4月25日更新

第91回 日々、人生を生きて行く中で

 

皆さん、こんにちは。浅井隆です。
ほぼ10日おきに更新しているこのコラム欄ですが、
今回は前回のベネズエラ情勢とはガラリと話題を変えて、
人生の根源的なことを少しお話ししたいと思います。

私は、経済ジャーナリストとして本を書いたり、講演したり、
投資助言を行なう会員制のクラブを主宰しています。
そして、これらの活動を通して今後の経済の見通しや
経済上の様々な危機を乗り越える方法などについてお伝えしてきました。
一般のサラリーマンとはちょっと違った仕事をしているかもしれませんが、
そのような仕事をしている私も皆さんと同じく一人の人間です。
さまざまな悩みを抱えながら、日々、生活しています。

最近では、両親のことが気掛かりです。
もういい年で、これまでは茨城にある自宅で両親二人で元気に暮らしていたのですが、
父親の体調が芳しくなく、その上母親も手を骨折するなどしたため、
いよいよ施設に入れざるを得ない状況になりました。
私は今64歳ですが、このような状況を目の当たりにすると、
「自分はあと何年、元気で生きることができるのだろうか?」
「人生の最後はどうすべきか?」などと考えずにはいられませんでした。

有名な仏教用語に「生老病死」があります。
文字通り、生まれること、老いること、病気になること、死ぬことです。
この世で人間として避けられない四つの苦しみを示す言葉ですが、
たった四つの語で人間の一生を見事に表しています。
人間は誰もが最初、「おぎゃ~」と産声を上げてこの世に生まれ、
その後、必ず年を取り、病気にかかり、そして最後は死んでいきます。
一生を通じ、さまざまな苦しみや悩みがあり、もちろん楽しみもあるわけですが、
そのような中でどう生きていくべきか。
それが私たちに与えられた課題であり、そこに仏教の根源的な教えがあるのでしょう。

もちろん私は宗教家でもないし、政治家でもありません。
「経済ジャーナリスト」と呼ばれることが多いですが、
実は私はこの肩書きがあまり好きではありません。
私がやりたいのは、経済ジャーナリストや経済学者、評論家などが行なう論評ではなく、
純粋に日本という国が将来どうなっていくのか、
私たちが今生きている経済社会がどうなっていくのかを考えていくことです。
政治も重要ですし、哲学も重要ですが、何よりも重要なのは経済です。
人間は本来、群れをなして生きて行く生き物であり、一人では絶対に生きることができないのです。

アメリカ軍の特殊部隊には、真っ暗な部屋に一人で閉じ込められる訓練があります。
孤独に耐えるための訓練なのですが、このような空間に閉じ込められると、
相当訓練された人間でも大きな精神的ダメージを受け、
2日間も持たないそうです。
やはり人間というのは、他人とコミュニケーションを取り、
他人との関わりの中で生きていくものなのです。
そのような人間の活動に欠かせないのが経済です。

ですから、経済がよくわからないとか、経済が嫌いというのは通用しません。
確かに今の日経新聞を見ても、難しい専門用語がたくさん出てきますし、
金融工学などは極めて専門的で一般の人にはまず理解できないでしょう。
しかし、何も難解な学問だけが経済ではありません。
人間が二人以上いれば、そこに経済が生まれます。
お互いに生きていくために、モノや通貨などの「価値」を交換し、
それを使ってより良い便利な社会を作って行く。
そこに、経済が存在するわけです。
私は元々、政治に興味があり、早稲田大学政治経済学部政治学科に入学したのですが、
結局のところ、経済、特に金融についてある程度理解しなければ生きていけないと考え、
現在の職業に就くことになりました。

とまあ、私は今の職業をこのような考えから選択し、
日々いろいろなことに直面し、悩み、考えながら生きています。
皆さんも多かれ少なかれ、毎日いろいろなことに対峙し、
選択し、判断して生きていらっしゃる事と思います。
ですから、そんな中でなにか楽しみや生きがいを見つけて、
日々を生きて行くことが人生なのかなと考えたりします。
かく言う私も、家に帰って一日の終わりに一番の楽しみである夕食を、
ちょっと贅沢にシャンパンを頂きながらテレビを見つつ舌鼓を打つことが本当に楽しみなのです。
元気に食事ができてこのような幸せな時間を持てることを、大切にしたいものです。


  私の自宅で開催した「桜を見る会」に
招待した父親、叔母と。
いつまでも元気でいてほしいものだ。

(2019年4月 東京都世田谷区にて)