天国と地獄
 

2019年2月25日更新

第85回 キューバの現実

 

昨年末から今年の年始にかけて、アルゼンチンとキューバを取材してきました。
前回、前々回とアルゼンチンの話をしましたので、今回はキューバの話をしましょう。 

ブエノスアイレスを出発した私たちは、キューバのハバナに向かい、そこで3泊しました。
皆さんはキューバという国にどのようなイメージをお持ちでしょうか?
「ハバナクラブ」という美味しいラム酒、美味しい葉巻、
街には50年前の素敵なクラシックカーが行き交い、
陽気なジャスが流れている……。
『老人と海』などの作品で知られる文豪ヘミングウェイも愛したキューバという国には、
どことなく甘美なイメージがあるかもしれません。
しかし、実際に訪れてみて、そのようなイメージは見事に裏切られました。
単に観光として行くだけなら面白い国ではありますが、
もう二度と行きたくないというのが正直な気持ちです。

革命広場のチェ・ゲバラと
カミーロ・シンフエゴスのモチーフの前で。
キューバの街中のいたるところで
チェ・ゲバラの肖像を見かける。
いまだ国民の英雄なのか、
はたまた時が止まっているのか?

街を歩きながら、人々の暮らしぶりを観察しましたが、
首都ハバナは街自体が廃墟同然です。
非常に栄えていた200~300年前のスペイン統治時代のものと思われる建物がいまだに多く残り、
住居として使われているのですが、本当にボロボロの状態でした。
補修するお金もないのでしょう。
キューバは医療に関してはかなりレベルが高いと言われていますが、
街を歩く人々の中にはやせ細っている人が多く、
足を引きずって歩く人も珍しくないなど、豊かさにはほど遠い印象を受けました。
メインストリートから1本道を外れると、“見るからに病気”という感じの人ばかりでした。

30年近く前にベトナムを取材しましたが、貧しくもそこには何とも言えない豊かさがありました。
映画『ALWAYS三丁目の夕日』に描かれている、
希望に満ちた昭和30年時代の日本に似た豊かさです。
ベトナムもキューバと同じ社会主義国ですが、
1986年から市場経済を取り入れた「ドイモイ」と呼ばれる政策を採っているからでしょう。
しかしキューバの場合、共産主義革命によりアメリカと対立し、
その間、進歩・発展というものがほとんど見られませんでした。
廃墟のような街並みが象徴するように、まるで時間が止まったかのような状態です。

キューバ訪問中はトラブルの連続でした。
アメリカ経由で入国すると審査が厳しいと聞いていたので、
私たちはブエノスアイレスからパナマ経由でキューバに入国しました。
その際に搭乗した、コパ航空の質の低さには閉口しました。
「本当に飛ぶの?」と思わせるほど機体は老朽化し、
ビジネスクラスにもかかわらずシートもボロボロで、
機内食も考えられないほど粗末なものでした。
何とか無事にキューバに着陸すると、税関での厳しい検査が待っていました。
スーツケースを何度もX線に通され、
持参していたWi-Fi用のルーターが引っかかってしまいました。
担当官はスペイン語しか話せないようで、
英語で必死に説明したのですが結局没収されてしまいました。
おそらく、キューバという国の実情をインターネットで情報発信されるのを警戒したのでしょう。

そして何と、そのやりとりに3時間もかかったのです。
何しろ、職員が働きません。
私の前に並んでいた人も、税関でひっかかり別室に連れて行かれました。
その人は、いわゆる「担ぎ屋」(電気釜などいろいろな商品を
販売目的でキューバに持ち込む人)と言われる人でした。
一人の職員がその人にかかりっきりになり、
私を含めあとの人たちは立ったまま延々と待たされました。
他にも職員は何人もいるのにも関わらず、誰も動こうとしません。
見て見ぬふりで、仲間とのおしゃべりに興じているのです。
何か言われてもすべてたらい回しにするような、悪しき役人根性丸出しでした。
私は空港の出口に車を手配していたのですが、
何しろパスポートを取り上げられているので身動きが取れません。
結局、ドライバーは一向に現れない予約客にしびれを切らし、帰ってしまいました。

それはちょうど日本で新年が明ける時間でした。
私にとっては生まれて初めての海外での年越しでしたが、
「あ~あ、とんでもない国に来たな」と感じました。
現地では最も評判の良いホテルのスイートルームに宿泊したのですが、それは酷いものでした。
部屋はボロボロで、手を洗おうと蛇口をひねるもお湯が出ません。
シャワーもお湯が出ないのには呆れました。
スイートルームだったので、シャワールームがもうひとつあり、
そちらは何とかお湯が出たので助かりました。
水質も悪く、うがいをしただけで私ともう一人のスタッフはお腹を壊しました。
窓も錆び付いていて開かない状態です。
バルコニーに出て、もしも室内に戻れなくなったら困るので無理に開けて出ることはしませんでした。
立派なバルコニーがありながら、もったいない話です。
立て付けも良いはずがなく、吹きつける貿易風が一晩中ゴーゴーと部屋に響きわたり、
おまけに冷蔵庫のモーター音もうるさく、ろくに眠れませんでした。

料理も「こんなにまずい料理があるのか」と驚くほど酷いものでした。
私たちは31日(現地時間)の夜、ホテルにチェックインしたのですが、
もう時間も遅かったので夕食はホテルのルームサービスを頼みました。
そこで出されたパスタは、生煮えでほとんど味もなく、
「腐っているのでは?」と思わせる小さなエビが乗っていました。
「食べたら死ぬんじゃないか?」と本気で思いました。
旧ソ連と同じ役人天国で、サービスも悪くスタッフも全く愛想がありません。

現地のタクシーにも驚きました。
ある夜、食事の帰りにタクシーを拾ったのですが、信じられないほどのオンボロ車でした。
ドアを開ける取っ手は壊れ、シートベルトもありません。
そんな車で時速100kmものスピードでぶっ飛ばすのです。
タイヤが外れるのではないかと冷や冷やしました。
横断歩道に歩行者がいてもブレーキをかけることもなく、
挙句の果てに人を轢きかけたりと、この国は一体どうなっているのかと思いました。

滞在中、日本語ができるガイドを雇ったのですが、
ガイドも私たちを監視しているようでした。
一種のスパイのようで、歩き方や立ち振る舞いから私は元軍人だと感じました。
日本語が通じる安心感から、
スタッフがつい「ベネズエラから人を呼んでいる」と口を滑らすと、
ガイドの表情が一変しました。
後でわかったことですが、ベネズエラはキューバに支配されている面があります。
石油が欲しいキューバは、ベネズエラの独裁者を支援することでベネズエラを牛耳っているのです。
ハイパーインフレで国の経済が完全に崩壊する中、
多くのベネズエラ人がキューバのことを恨んでいるそうです。
そんなベネズエラから人が来るとなると、
「何を話されるかわからない」と一気に顔色が変わったわけです。
雰囲気が良いはずもありません。

今回の取材では、ベネズエラに住む小谷さんという日本人画家のご主人(ベネズエラ人)に
キューバまで来ていただきました。
キューバ入国のビザを取るのも一苦労だったそうです。
何とかビザを取り、キューバに到着したものの、
空港で1時間くらい尋問されたそうです。
今回のインタビューのことは伏せて、
「アメリカに行く前にちょっと立ち寄っただけだ」と、
取り繕って何とか入国できたそうです。

ガイドがキューバ観光の目玉として、革命広場を案内してくれました。
しかし、道は舗装もされておらず、大きなごみも落ちており、整備は行き届いていませんでした。
このように私たちのキューバ滞在は、はっきり言って非常に不愉快なものでした。
そして、国民は苦しい生活を強いられ言論の自由もなく、
情報も統制される社会主義国家の恐ろしさを改めて実感させられました。




主要観光地の近辺でさえ舗装されていない道路だらけだ。
インフラが整っていない印象が町全体から伝わってくる

(2019年キューバ・ハバナにて)