天国と地獄
 

2019年1月25日更新

第82回 年頭に当たって (続き)

 

ポピュリズムという言葉は、民主主義発祥の地ギリシャにおいて、
ラテン語の「populus」(人民)を語源として誕生したものです。
私は、早稲田大学の政経学部で政治思想を学びました。
私達は、民主主義こそが最高の政治形態だと思っているふしがありますが、
ギリシャの哲学者らは民主主義が最高の政治形態とは見なしていませんでした。
それは別のものであり、それができないがために仕方なく民主主義を選択したというのです。
なぜ、民主主義が最高の形態ではないのかと言うと、
それは民主主義が往々にして衆愚政治(大衆迎合主義)を招くからです。

では、ギリシャの哲学者が最高の政治形態だと考えていたのは、どういうものなのでしょうか。
それは、“哲人政治”というものです。
徳を積んだ完璧な人間に強大な権力を付与し、
いわゆる独裁によって統治するという方法です。
しかし、独裁者が善政を敷くとは限りません。
旧ソ連や現在のロシア、さらには中国共産党や北朝鮮の金王朝を見れば一目瞭然ですが、
為政者がその地位を利用して欲望を満たす場合が少なくありません。
それゆえ、古代ギリシャのプラトンは
哲学を深く学んだ者(哲人王)による独裁に限定しようとしましたが、
その志はプラトンの死によって潰えてしまいました。

前述したように、民主主義は政治に民衆の意見が反映されやすい反面、
衆愚政治に陥りやすい面も多分にあります。
自分達に痛みを負わせる改革などを、敬遠するようになってしまうのです。
逆に、刹那主義の極みであるバラマキを要求したりします。
こうした国民の負託を受けた政治家は、
結局のところバラマキなどで国民の要求に応えざるを得ません。
残念ですが、現在の日本の政治も衆愚政治と呼べる段階に片足をつっこんでいるようなものです。

日本は国の借金を増やし、日銀が国債を大量購入することによって、
痛みを伴う改革を避けています。
それこそがアベノミクスです。
私は、このまま日銀の財政従属が高まり続けることを危惧しています。
国民のバラマキに応え続けるのは、財政的に不可能なことですが、
それゆえ政治家が財政ファイナンスを選択するのではないかという疑念が拭えません。

次に世界的なリセッション(景気後退)が到来した際、
日本を筆頭とした先進国にはあまり対応余地が残されていません。
財政は疲弊していますし、金利はすでにゼロ近辺にまで低下しきっています。
そうなると、ヘリコプター・マネーなどのわかりやすい財政ファイナンスが導入される事態も
十分にあり得るように思います。

私はかねてから大恐慌の再来を予想していますが、
その先には、究極的には不換紙幣の信認喪失という
恐ろしい時代が待っているかもしれません。
年頭からこのような話をするのは好まれないかもしれませんが、
事実、世界経済は多くの面で重大な岐路に立たされているのです。

年頭に当たって、
2019年がどのような年になるのか
思いを巡らせたが、
どうにも明るい展望は見えてこない

(東京・千代田区
    第二海援隊オフィスにて 2019年1月)