天国と地獄
 

2018年12月15日更新

第78回 ニュージーランド不動産バブルとホームレス

今(11/20現在)、私はニュージーランドに来ています。
毎年11月から1ヵ月間はニュージーランドに滞在するのですが、
その最初の10日間はお客様を連れてニュージーランドの特別視察ツアーを開催しています。
今回のツアーが始まる前、私はあることを調査していました。
それは、現在のニュージーランドでは不動産価格が上がりすぎて、家を買えない、
というより賃貸にも住めない“ホームレス”が続出しているということです。
その数、なんと数万人規模だといいます。
日本のホームレスの数は6000人規模(厚生労働省調べ)で、
隠れホームレスを合わせるとその2~3倍程になるといいますが、
仮に多い方の3倍として数は2万人規模。
「なんだ、ニュージーランドも日本も同じぐらいの数じゃないか」と思うかもしれませんが、
人口が全く異なります。
日本の人口が1億2680万人であるのに対して、
ニュージーランドの人口は480万人と、約30分の1なのです。
実は、いまやニュージーランドの人口の1%がホームレスと言われており、
この水準はOECD(経済協力開発機構)の加盟国35ヵ国の中で最も悪い数字、最下位なのです。
日本の人口で考えてみた時、人口の1%というと126万人がホームレスということになり、
いかにこれが異常な状態かがわかると思います。
実際、私はオークランドの中心部でその様子を目の当たりにしました。
ニュージーランドの首都はウェリントンですが、経済面での“首都”はオークランドと言えます。
人口も130~140万で、ニュージーランドで最大です。
そのオークランドのメインストリートである
クイーンズストリート(エリザベス女王が歩く道。日本で言えば銀座あたりに該当する)を
早朝に散歩したのですが、50メートル置きにホームレスを見かけました。
彼らの多くは、ぼーっと空想に耽っているようでした。
彼らには失礼かもしれませんが、こうした現状を伝えようと今回、写真を撮ってきました。
現在のニュージーランドは、社会の矛盾が行き着くところまで行き着いた、そんな印象を受けます。
オークランドの路上生活者。早朝と言うこともあり、路上で寝そべっている。

私が初めてニュージーランドを訪れたのは1997年です。
その当時、南島のクイーンズタウンという街から車で2時間ほどの場所にある、
大自然が真近に感じられる「パラダイス」という地域を何度か訪れました。
そこをドライブしていると、裸足で歩いている人々とよくすれ違ったものです。
髪の毛も伸ばしたままで、まさに原始人のような雰囲気でしたが、
別にホームレスではなく、田舎の人はそんな感じでした。
心が荒んでいるような様子は全くなく、
お金はなくとも溢れる自然の中で人生をエンジョイしているようでした。
実際に多くのキウイ(ニュージーランド人の愛称)と交流してみても、
人間性がとても良かったのです。
少し話が逸れますが、ニュージーランドは人種差別がほとんどないことでも有名です。
ファイブ・アイズ(米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)の中では
最も差別がないと言われていますし、私も差別を受けたことがありません。
その点は現在も変わりませんが、それ以外の人間性が変わりつつあると私は感じています。
不動産バブルが長期化しているせいなのか、お金の話ばかりしている人が目に付きます。
たとえば、オークランドの郊外のカフェでは午後のティータイムにマダムが集まるのですが、
耳を傾けると、不動産の話ばかりしています。
日本も高度成長期に“エコノミック・アニマル”と揶揄されましたが、
最近のニュージーランドの人たちも経済的な利益に夢中になっているように見えます。
また、最近では住宅の修繕屋さんがほとんど来てくれないそうです。
どういうことかと言うと、不動産価格の上昇によって内装業者が引く手あまたなので、
たとえば修繕などの安い仕事を軽視しているのです。
クレームを言うと、「それじゃあ、他を当たりなよ」と言って相手にしてくれない業者が増えているそうです。
まさに、バブルの末期症状です。
私は、2年以内にニュージーランドの不動産バブルは大崩壊すると見ています。
『金融の世界史――バブルと戦争と株式市場』(板谷敏彦著:新潮社刊)には、
面白いエピソードが書かれています。
ニューヨークの株価が暴落する前の1928年、
そう、株価が現在と同じように熱を帯びていたときのこと。
コメディアンとして著名なチャーリー・チャップリンは、
当時のニューヨークの街並みを見渡した際にある疑問を抱いたといいます。
永遠の繁栄(後に「狂騒の20年代」と呼ばれるようになった)と謳われていたのにも関わらず、
街中で多くの失業者を見かけたのです。
この光景に不信を抱いたチャップリンは、持ち株を全て処分するという行動に打って出ます。
この行為に、チャップリンの友人であり著名音楽家のアーヴィング・バーリンは
「米国を空売りする気か!」と大激怒。
しかし、間もなくやってきたブラック・サーズデーの翌日、
チャップリンの元を訪れ謝罪したといいます。
まさに、現在のニュージーランドの状況と重なるのです。

 

オークランド郊外のカフェにて。
ご婦人方がカフェで不動産談義に
花を咲かせていた



(ニュージーランドにて 2018年11月・2月)