天国と地獄
 

2018年3月5日更新

第50回 “苦しきことのみ多かりき”人生を楽観的に生きる

前回、温泉で出版部のスタッフと合宿をした話をしましたが、
私の主たる仕事は社長業と本を書くことです。
講演会も行なっていますが、基本的には会社経営が仕事の中心となっています。
社長という立場で会社経営に携わると、はっきり言って良いことなどほとんどありません。
誰々が体調を崩したとか、誰々が不満を漏らしているとか、
誰々と誰々がけんかをしたとか、どこどこの部門が赤字だとか、
トラブルが起きてクレームが来ている……など、その9割は悪いことです。
まぁ、言ってしまえば、人生とはそういうものだと思います。

ですから私は、それを悲観したり嫌だと思ったりするのはおろかだと思います。
起こった悪いことを自分の能力と体力を使いながら、
いかに上手に采配して切り盛りしていくか、なのです。
人生そのものもそうですし、会社経営も同じです。
皆さんも会社で働く中で、苦手な上司も生意気な部下もいるでしょうし、
お客様からのクレームもたくさん受けるでしょう。
でも、目の前にあることを一つずつこなしていくしかないのです。
私はそれが“修行”であると思っています。
人生とは、まさに修行そのものなのではないかと思っています。

徳川家康は、
「人の一生は、重い荷物を背負って長い坂道を上って行くようなものだ」と言っています。
家康は天下を取って江戸幕府の基礎を築き、「権現様」と呼ばれる神様になりました。
東照大権現様として、日光東照宮にも静岡の久能山東照宮にも祀られています。
そんな人にとっても、人生は楽ではなかったのです。
そして、それほどの運を持った人でも、実は人生の中で何度か死に損なっているのです。
本当に間一髪、「もうおしまいだ」というような局面に、3回も遭っているのです。

1回目は、彼がまだ若くて浜松城にいた頃、武田信玄が攻めて来た時のことです。
信玄はなんと家康がいる浜松城を攻めないで、
そのまま西にまっすぐ向かって行ってしまったのです。
これが「三方ヶ原の戦い」です。
家康は「俺を馬鹿にするのか!」と激怒して、重臣たちの反対を押し切り、
一騎で飛び出して行ったのです。
それに皆が続いて飛び出して行き、合戦になったわけです。

武田軍は、戦いにおいて本当に強かったようです。
軍隊というのは普通、行軍する時に長い列になりますよね。
どんなに強い軍隊でも列の背後から襲われたら全滅ですが、
武田軍はその時、背後から敵軍に襲いかかられているのです。
信玄は、「家康は、必ず飛び出して来る」とわかっていて、
いろいろな場所に “間者” (スパイ)を放って相手がどう動くかを察知していたようです。
ですから、家康が台地に到着した瞬間に何が起きたかというと、
それまで普通に進んでいたように見えた信玄の軍隊が一瞬で転回し、
家康軍と対峙して戦闘態勢をとったのです。
結果、家康の軍隊は信玄の率いる大軍に撃破されてしまいます。
家康は相手の刀に突かれるくらいの所まで追い詰められ、最後は1人で逃げ惑うのです。
その時、あまりの恐怖に大便を漏らしてしまったという有名な話が残っています。
何とか助かって浜松城に逃げ帰りますが、
家康の凄い点はその時の自分の恐怖にひきつる顔を絵師に描かせているのです。
そして生涯、それを床の間に飾って自分を戒めたと言われています。
このように、九死に一生を得ているのです。

2回目は、明智光秀が「本能寺の変」を起こした時です。
家康はわずか数十人の家臣と堺を見物していましたが、
“信長が殺された”という一報を聞いて取り乱し、
「もう無理だ」と諦めて自刃しようとしたのです。
光秀が天下を取るために信長を殺した以上、自分も殺されるのが明らかだったからです。
自ら命を絶とうとする家康を皆が「ここで死んではいけません」と言って説得し、
世に名高い「神君伊賀越え」となったのです。
その時、家康の手引きをしたのが伊賀の服部半蔵で、
彼は後に御庭番として家康に仕えています。
家康は、農民に襲われたり野武士に殺されそうになりながらも山を越え、
船で海を渡り、かろうじて三河に逃げ帰っているのです。

3回目は、晩年に豊臣家を滅ぼそうと大坂城を攻めた「夏の陣」の時です。
家康の軍は大軍で相手を圧倒していたため、絶対に勝てると思っていました。
ところが、真田幸村をはじめほかの部隊があまりにも強くて、
最後は家康の本陣にまで攻め込まれてしまうのです。
そこでなんと、家康の本陣は皆、家康を置いて逃げてしまうのです。
家康はそこでも逃げ惑い切腹を覚悟しますが、
家臣たちに必死に引き止められたと言われています。
実は「家康は本当はそこで死んでいたのではないか?
その後は彼の影武者が演じたのではないか?」という伝説まで残っています。
それほどまでに、凄まじい戦いだったのです。

このように、家康はなんと3度、死に損なっているのです。
運の弱い人間だったらどこかで死んでいるでしょう。
そのくらい、天下を取るような人間は苦労を重ねてきているわけで、
私たちの苦労とは比べ物にもならないと思います。
今の世の中、まず殺されることなどありませんし、食べる物にも困りません。
平和で豊かで便利な時代です。
昔の生活から考えたら、暖かい事務所の中で仕事ができるだけでもありがたいことだと
感謝すると同時に、幸せなことだと思わなければいけないと思います。

人生というのは、良いことはほとんどありません。
それを楽観的に考えて、上手くやっていくのです。
会社の経営者であれば、自分は苦しくても社員には苦しい顔を見せてはいけません。
上に立つ人ほどそれを意識して、いつも笑っていなければダメなのです。
強く、そして明るくです。暗いのは、いけません。
それが私の哲学の1つでもあるし、家康から学んだことでもあります。
家康から学んだことは多々ありますが、
前回家康は温泉が好きで健康にとても留意していたと述べましたが、
それは、とても大切なことです。
皆さんも健康に気を付けて、苦しいことが多い人生を楽観的に考えて
長生きしていただきたいと思います。

雪深い山里で人生について思いを巡らせます。
家康含め、誰にとっても人生は苦しいものです。
そんな人生にあっても、明るく、強く、
健康に留意して長生きするのが人の使命なのでしょう。

(山形にて 2018年1月下旬)