何度かこのコラムにも書いてきましたが、私は2017年12月9日で63歳になりました。
子供の頃は誕生日というと、ケーキも食べられるし楽しくて嬉しいものでしたが、
60歳を過ぎるとぜんぜん嬉しくないですね。
どんなにアンチエイジングをしていても、
年々少しずつ頭も身体も衰えていくのはどうしようもないことで、
私も“あと何年生きられるか?”ということを真剣に考え始める歳になりました。
人間というのは、50歳を超えると少し人生観が変わります。
つまり、多くの人は100歳までは生きられません。長生きしても90歳~100歳位でしょう。
そう考えると、50歳になるということは人生の半分はもう過ぎてしまったということであり、
60歳になると還暦ですから、昔だったらもう大方そこで人生が終わっているわけです。
ですから、次の人生を考えると同時に多くの方は定年退職となるでしょう。
もちろん近年は定年延長や新しい職に就いて働く人も増えていますが、
多くの人は60歳頃から徐々に身体も衰えてきます。
私の周りを見ても、男性の場合55歳~60歳くらいで心臓の大きな病気をしたり、
脳梗塞で倒れたり、ガンになったりする人が多いようです。
そういう様子を見ていると、自分はあと何年生きられるのか?
しかも“元気で”何年生きられるのか? と考えさせられ、
同時に人生の終わりが見えてきます。
そうした時に人間というのは、多分2つのタイプに分かれるのではないかと思います。
ひとつは、「老後を楽しく自分のために生きる」タイプです。
もうひとつは、人間最後のご奉公という意味で「次の世代に何かを残したいと思う」タイプです。
私はその2つ目をやってみたいと思っています。
会社も経営していますから、社員たちには心配をかけないようにいままでの仕事も続けますが、
同時に全人類のため、というのはなかなか難しいとしても
せめて日本のために何かできたらいいなと考えています。
最終的には後藤新平の言葉にあるように、
次の時代を背負って立つ人を育て、
残していくことに力を注いで行きたいと思っています。
後藤新平は明治15年、板垣退助が岐阜で暴漢に襲われて負傷した時に医者として駆けつけ、
彼を助けました。
当時、板垣退助は反政府活動をしていたので、
病院に「板垣が負傷した」という一報が入った時、誰も彼を救助しに行こうとしなかったのです。
なぜかと言うと、政府に反抗している人間を助ければ自分も政府から悪く見られ、
将来の出世にも関わったからです。
それでも後藤新平は、周囲の医師や看護師に対して
「何を言っているのだ。人間の命を救うのが医師で、政府からどう思われようがそんなことは関係ない」
と言い、
看護師を連れて岐阜へと向かいました。
そして板垣を介抱し、「閣下、御本懐でございましょう」と言ったと伝えられています。
板垣は負傷したけれども命に別状はなく、その時あの有名な
「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を残したと言われています。
後藤新平は後に政治家になるのですが、彼が残した有名な言葉に
「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ」があります。
つまり、次の世の中を背負って立つ人材を残すことが一番大切で、
年を取った人間がやるべきことであるという意味です。
私もこの年になって、やはり次の時代を背負って立つような人材を残したいと考えています。
そのためにシンクタンクも作りました。
まだ、なかなか思うような人材が育つ組織にはなっていませんが、
じっくり育てていきたいと考えております。
ところで先日、名前は言えませんがある大物の政治家にお会いする機会を持つことができました。
次回は、そのお話をしたいと思います。 |