天国と地獄
 

2017年7月25日更新

第28回 歴史的苦難を乗り越えて

 

ポーランドに来て数日が経ちますが、まだ時差が残っているので
ポーランド時間の朝3時~4時に目が覚めてしまいます。
それもあって、早朝5時くらいから毎朝散歩をしています。
散歩中に偶然、教会の扉が開いていたので入ってみると、
中ではミサが行われていました。
朝の出勤前から大勢の市民がやって来て、中でお祈りをしているのです。
ポーランドは国民の90%がカトリックで、そのうち75%が敬虔な信者ということでした。
ポーランドはローマ法王を輩出するほどのキリスト教国で、
キリスト教の良い影響を受けています。
人々は親切で穏やかで、それゆえ治安も良いというお国柄を、
実際にいろいろなところで感じました。

 
旧市街  

早朝から旧市街を散歩する。

道行く人もほとんどなく、街は静か。

 

私が宿泊しているホテルは街の中心部の利便性の良い場所にあり、
歩いて7~8分で昔の城壁に囲まれた「旧市街」に出ます。
そこに王宮や古い広場、教会などがたくさんあります。
早朝に起きて1時間くらいその辺りを散歩するのですが、
その時、旧市街を囲んでいる城壁が新しいことに気付きました。
あとで聞いてみたら、実はワルシャワは第二次世界大戦の時に
ドイツ軍に徹底的に、跡形もなくなるほど破壊され、
それをワルシャワ市民の力で1950年代から修復していたということがわかり、とても驚きました。

 
 

散歩の途中で立ち寄った
教会でのミサ。

静寂の中でシスターたちの祈りと
歌声だけが響いていた。

 

ポーランドは、地図を見てわかる通り他国と陸続きで、
いつでも騎馬軍団、あるいは近代でいうと戦車が入って来ることができるので、
あっという間に敵に侵攻されてしまいます。
距離を測ってみたのですが、ベルリンまで大体400㎞、
日本でいえば東京から名古屋を過ぎて滋賀県くらいまでの距離です。
戦闘機だったら一瞬で到達できる距離に、他の国の首都があるわけです。
ですから、そういう環境に居住している国民というのは、私達とは全く違います。
まず、多くの人が3ヵ国語くらい話すことができます。
食糧危機をはじめ何か大きな天変地異などで民族大移動が起こったり、
侵略目的で他の民族が侵入してくるという経験を歴史的に何度も経ていますので、
自国以外の言葉に対応していくことは大切なことなのです。

ポーランドは実際、地図上から国自体が消えてしまう状況に何回か陥っています。
最近の例では第二次世界大戦の時です。
あの時は、ドイツと当時のソ連(現ロシア)に挟まれて両国から侵攻されました。
ヒトラーが負ける寸前の、まだワルシャワにドイツ軍がたくさん残っていた時、
ソ連軍が東から攻めて来てとんでもないトリックをポーランドに仕掛けました。
ソ連のスターリンが占領後の支配を容易なものとするために、
ニセの情報を流したのです。
当時、ワルシャワにはドイツ軍を追い出したいという
ポーランドの「レジスタンス」(抵抗勢力)がいたのですが、
彼らに向かって「ソ連軍が助けるから、ドイツ軍に向けて武装蜂起しろ」と言ったのです。
それを信じたワルシャワ市民は武装蜂起し、ドイツ軍と戦いました。
ところがその後、郊外まで来ていたソ連軍は約束を守らず、
ポーランド人を助けに来なかったのです。
その間にドイツ軍は、武装蜂起した20万人のポーランド人を
ほぼ皆殺しにしたと言われています。
しかもその後、ワルシャワを徹底的に破壊しました。

そして、ポーランドの抵抗勢力がほぼ全滅した後、
ソ連軍が入って来て元気な者がいないワルシャワを陥落させ支配してしまいました。
そういう恐ろしい歴史を経ています。
その時ソ連は東欧をほぼ全て支配し、西側のNATO(北大西洋条約機構)軍に対して
東のワルシャワ条約機構軍を作りました。
そして、東西ドイツの国境を挟んで鉄のカーテンを引き、
米ソ冷戦時代が始まったのです。
その当時のワルシャワは、ソ連側に支援された東ヨーロッパ軍事同盟の拠点となったのです。

 
 

ワルシャワ蜂起の記念碑の前で。

今にも動き出しそうなブロンズ像群。

(ポーランド・ワルシャワにて)

 

今でも私はワルシャワというと、この歴史的大事件を思い出します。
今ではポーランドは、東側諸国であったことがウソのように西側諸国に組み込まれて大発展し、
EUの中でも一番成長していると言われています。
女の人は皆おしゃれで、綺麗な車も走っていますし、
旧共産圏とは思えないような自由な雰囲気があります。
民族性もとても良くて、あんなにだまされて、侵略されて、
何度も自国がなくなっているのに国民はとても親切です。
それは、冒頭に書きましたようにキリスト教の影響が大きいのだと思います。

浅井隆