天国と地獄
 

2017年6月5日更新

第23回 今川義元と徳川家康の駿河

 

ゴールデンウイークの最中に、静岡市に行って参りました。
静岡市は、講演会をはじめ出張などで
東京から大阪へ行ったり名古屋へ行ったり広島へ行ったりする時に、
東海道新幹線でいつも通過はしているのです。
しかし、いつも通過するだけで、20年ほど前に1度、講演会で行ったきりでした。
静岡市自体を観光したことが、一切なかったのです。

ただ最近、NHKドラマで「おんな城主 直虎」を見て、
今川義元の本拠地であることを思い出しました。
実は、家康も最後は駿府で死んでいるのです。
家康が関が原で勝って実質的に天下を取った後、
将軍を息子の秀忠に譲ります。
そして、家康は大御所として実質的には権力を握ったまま駿府城から指令を出しました。
そして、最後に駿府城で亡くなっているのです。

家康は子供の頃は竹千代という名前で、
今川に人質にとらわれていたのですが、
その時に「臨済寺」という禅寺に預けられていました。
そこで「雪斎」というお坊さんからいろいろと教わりました。
そして、その教えが家康の天下を取るための礎になったと言われています。

 
 




案内してくれた杉山さんと。

臨済寺の階段は
お腹の出ている私には
少々キツイものでした。

(静岡市・臨済寺にて)




 

私は、家康という人を歴史上、一番尊敬しているのですけれども、
一番嫌いな人でもあるのです。
なぜかというと、家康という人は若い頃は本当に猪突猛進で一本気だったのですが、
その後は狸親父と言われ、特に秀吉が死んだ後、
手のひらを返して陰謀に次ぐ陰謀で豊臣政権を潰し、
秀吉の息子である秀頼の大坂城を潰して乗っ取ったという、
人間としての狡さがあるからです。

ですから、彼のようにはなりたくありませんが、
彼には天下を取った人物独特の凄みがあります。
その凄みの一つは、彼は当時としては異例なほど長生きをしました。
それは、健康に異常に留意した結果で、
家康は自分でサプリを作って飲んでいたそうです。
私も「若天」という会社を作り、自分で独自のサプリをオーダーして飲んでいます。
忙しいので会社は友人に譲り、経営はしていませんが、
これは家康の健康法に学んだのです。

家康ゆかりのこの「臨済寺」というお寺をどうしても見たいと思っていました。
静岡には杉山さんという私のファンの方がお住まいで、案内して下さいました。
「臨済寺」は非常に素晴らしいお寺でした。
寺の裏には山があり、まさに修行の寺で、
普段はなかなか中を見せてくれないらしいのですが、
私が行った時はたまたま開いていました。
今回静岡(昔の名前でいうと駿府ですが)を見てきまして、
いろいろと気付いたり学んだりしたことがありました。

実は、今川義元がいた頃からこの静岡という地は工芸が盛んで、
漆器やタンスなどが当時から有名でした。
その手の技が、今やなんとプラモデルとして残っているのです。
静岡は現在、プラモデルの世界的な生産地で、
年に1回、プラモデルの大きなショーも開かれているということです。

 
 




駿府城の石垣の前で。

歴史の重みを感じます。

(静岡市・駿府城にて)




 

ちなみに、徳川幕府が滅んだ後、
15代将軍慶喜自身やたくさんの幕府の旗本がここ静岡に流されています。
悲惨な目に遭ったらしいのですが、そういう歴史もあって今の静岡があるわけで、
歴史を重要視している私としては感慨深いものがありました。
皆さんも是非一度、静岡の駿府城とこの臨済寺を訪れてみられるといいと思います。

浅井隆