天国と地獄
 

2017年5月25日更新

第22回 熊本地震から1年

 

田原坂に行った翌日、せっかく熊本まで来たということで、
以前私の会社の出版部に在籍していた宮崎君というスタッフの家を訪ねました。
というのも、宮崎君は第二海援隊を退職後、
実家のある熊本に帰ったのですが、
実は熊本地震で甚大な被害を受けた益城町に住んでいて、
彼自身も住んでいた家の母屋が全壊するという被害に遭っていたのです。
今は隣の祖父の家に住んでいると聞いていたので、
お見舞いと慰労を兼ねてお邪魔しました。

熊本地震からちょうど1年経ち、
ボランティアもほぼ終了するという事も聞いていたので、
どの位の復興状況なのか見てみたいという思いもありました。

 
 




いまだ崩壊したままの家の前で宮崎君と。

不自由さが残る中、
元気に前を向く姿が印象的でした。

(熊本・益城町にて)




 

現地は、今では壊れた家はほとんどなくて、
ガレキもきれいに撤去されていて空き地が方々にあるという状況でした。
一軒だけ潰れたままの家が残っていて、
あとはお墓が壊れたままで再建できていない状態でした。
その横には仮設住宅が50世帯ほど建ち並んでいました。
宮崎君は1年経ってやっと吹っ切れたと言って、
今は元気に地区の復興と自身の仕事を一生懸命やっていました。
ただ、その集落でも亡くなった方がいらっしゃるということでしたので、
いろいろな思いを抱えているようにも見えました。

宮崎君は“お酒が好き”で、
私は出発前にもお酒を送ったのですが、
彼が喜んでくれてそれで復興に励んでくれるならと、
帰宅後私の家の酒蔵からワインをたくさん送りました。

天災というのは、いつどこにやってくるかわからないものです。
私はたまたま東京に住んでいますけど、
東京で巨大地震が起ったらもっと大変なことになるなと思いました。
他人事じゃないと彼らの苦労を想い、
そして日本は天災の国、地震の国だということを改めて実感しました。

当日、ボランティアの人たちも来ていましたが、
宮崎君はボランティアの人々の力にずい分助けられたと言っていました。
実は私も「CheFuKo」というボランティア団体に協力していて、
「CheFuKo」も熊本へは3回行っています。
私たちの力は微力ですが、そうした小さな力の寄せ集めによって
被災地が復興できるのかなということを再確認し、
今後「CheFuKo」の活動も続けて行きたいと改めて強く思いました。

「CheFuKo」のホームページも是非、
ご覧頂きたいと思っています( http://www.chefuko.org/ )。

浅井隆