現地は、今では壊れた家はほとんどなくて、
ガレキもきれいに撤去されていて空き地が方々にあるという状況でした。
一軒だけ潰れたままの家が残っていて、
あとはお墓が壊れたままで再建できていない状態でした。
その横には仮設住宅が50世帯ほど建ち並んでいました。
宮崎君は1年経ってやっと吹っ切れたと言って、
今は元気に地区の復興と自身の仕事を一生懸命やっていました。
ただ、その集落でも亡くなった方がいらっしゃるということでしたので、
いろいろな思いを抱えているようにも見えました。
宮崎君は“お酒が好き”で、
私は出発前にもお酒を送ったのですが、
彼が喜んでくれてそれで復興に励んでくれるならと、
帰宅後私の家の酒蔵からワインをたくさん送りました。
天災というのは、いつどこにやってくるかわからないものです。
私はたまたま東京に住んでいますけど、
東京で巨大地震が起ったらもっと大変なことになるなと思いました。
他人事じゃないと彼らの苦労を想い、
そして日本は天災の国、地震の国だということを改めて実感しました。
当日、ボランティアの人たちも来ていましたが、
宮崎君はボランティアの人々の力にずい分助けられたと言っていました。
実は私も「CheFuKo」というボランティア団体に協力していて、
「CheFuKo」も熊本へは3回行っています。
私たちの力は微力ですが、そうした小さな力の寄せ集めによって
被災地が復興できるのかなということを再確認し、
今後「CheFuKo」の活動も続けて行きたいと改めて強く思いました。
「CheFuKo」のホームページも是非、
ご覧頂きたいと思っています( http://www.chefuko.org/ )。
浅井隆
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