天国と地獄
 

2025年10月3日更新

第266回  ポツダムの「気候影響研究所」を訪ねて

皆さんこんにちは、浅井隆です。
5月にアジア修行の旅から帰ってきた私は、
旅の疲れも癒えぬ6月中旬から、今度はヨーロッパを巡ってきました。

過去のブログを読んで下さっている方はご存じかもしれませんが、
インド、ネパール、ブータン、そしてバンコクと南アジアを巡ってきた目的は、
精神の修行とブッタ(仏様)が悟りを開いた場所を見るというものでした。
またネパールのヒマラヤを見たかったのと、ブータンで
「本当に世界で一番の幸せの国なのか?」を確かめたかったのもあります。

今回のヨーロッパの目的は、2つあります。
1つ目は、環境問題の取材です。
皆さんご存じだと思いますが、私は今年「ブルー&グリーン(B&G)」という、
環境問題に関する団体を創設しました。その取材の為です。
2つ目は、歴史から教訓を得ることです。
私は歴史が好きです。歴史は繰り返す、と言いますが、
歴史を知ることによって私たちの日々の生活、
これからの日本や世界がどうなるのかについて、思いを巡らせたかったのです。

環境問題に関して最大の目的は、世界の気候変動を研究している施設を訪れることでした。
その研究機関は、ベルリン(ドイツ)の郊外のポツダムにありました。
このポツダムは、「ポツダム宣言」で有名な場所ですね。
第二次世界大戦終戦直後、クリミア半島の「ヤルタ」で米英ソが会談して戦後秩序の大枠を決め、
ドイツのポツダムで最終的に合意しました。

日本、ドイツ、イタリアが敗戦国となり、
アメリカ、イギリス、フランス、中国、ソ連が戦勝国となりました。
しかし、その直後から米英はソ連と対峙し、米ソ冷戦に発展します。
戦勝国の5大国が国連を牛耳り(この構図は今も変わっていません)、
アメリカを中心として自由貿易体制を作りあげました。

焼け野原の中からスタートした日本は、
朝鮮戦争(朝鮮特需)、東京オリンピックを経て高度経済成長を実現、
特に電気、車、鉄鋼、造船の分野で頂点に登りつめます。
しかし、1985年のプラザ合意を経てバブルを経験し、その後は「失われた30年」を過ごします。

さて、ポツダムにある「気候影響研究所」は、
ドイツ政府が100%出資している、昨今の気候変動がどのような影響を及ぼすかについて研究している機関です。
私が「気候影響研究所」を知ったのは、
たまたまNetflix(ネットフリックス)で「地球の限界」というドキュメンタリーを見たからです。
これはまさに衝撃的なドキュメンタリーでした。
ネットフリックスを契約されている方は、是非ご覧になってみて下さい。
私は人生観が変わったほどでした。
参考までに、ネットフリックスは月額890円から視聴できます。解約も簡単にできます。
(https://www.netflix.com/jp/title/81336476)。

この「地球の限界」では、地球環境がいかに追い詰められているか、
私たち人類がやってきたことがいかに地球を壊しているか、気候変動、化学物質、
それから生物多様性といった9つの分野に分けて、わかりやすく解説をしています。

その中の気候変動の分野で、「気候影響研究所」の所長をされている
スウェーデン人のヨハン・ロックストロームさんが出演して、お話をしていました。
私は、その彼にぜひ会いたいと思い、
ヨーロッパ出張の1ヵ月前からアポイントを取ろうと奮闘したのですが、
彼は世界中を飛び回っており、「会えない」と返事がありました。

そこで私は、“突撃取材”をすることにしました(もちろん失礼のないように、です)。
研究所はベルリンから車で40分、高速の出口を降りてすぐの場所でした。
そこで、2つ驚いたことがあります。

1つ目は、ポツダムは歴代のドイツ皇帝の保養地ということで、宮殿がたくさんあったこと。
緑豊かで、とてもよい場所でした。
ポツダムで会議を行なったのは、ベルリンが空爆で焼け野原になってしまっていたためです。
廃墟となったベルリンには、会談ができるような場所がなかったのです。
一方のポツダムには宮殿が多く残っていたので、そこで会議を開催したのです。
日本人の私からすると、ポツダムには嫌なイメージしかありませんでしたが、
実際に行ってみると美しく、静かな場所でした。
ポツダムに対する印象が、がらりと変わったのです。

ポツダムは自然が豊かで落ち着いた美しいところだった
「ポツダム宣言」が話し合われたツェツィーリエンホーフ宮殿

2つ目は、「気候影響研究所」に行ったときのことです。
訪問したのは金曜日でした。前日の木曜日はドイツの祝日で、翌日は土曜日でした。
そんなに大きな研究所ではありませんが、それでも少なくとも30~40人くらいの研究員はいるでしょう。
それが、訪れたときは1人しかいませんでした。それも、事務員のような女性が1人です。
ガイドを通じて事前連絡をしていましたが、よくわからないと言われてしまいました。
仕方がないので施設内の写真を少し撮って、その女性に
「ヨハンさんにB&Gのパンフレットと800年周期の本を渡して下さい」と託して、施設を後にしました。

気候変動について、ヨハンさんは「1日も待てない、
気候変動はあと3~ 4年すると取り返しのつかないポイントに達する」と必死に叫んでいました。
いわゆる「ポイント・オブ・ノーリターン」ですね。
そのポイントで人類が滅びるとか気候が完全にダメになるではなく、
その地点を過ぎたら暴走し始めて、どんなことをしても人類の力では元に戻せないということです。
それなのに、研究所に1人しかいないというのは、どういうことでしょう。
不眠不休で切迫した問題に取り組むような研究者は、誰一人そこにはいないということでしょうか。

気候影響研究所の入り口にて
中に飾ってあった巨大な地球儀

ガイドに聞きたところ、ドイツでは金曜日の午後になると、
役所の人もお酒を飲んだり、帰ってしまうそうです。
ドイツには勤勉のイメージを持っていましたが、ひどい有様だと思いました。
失業者に対する手当も手厚いので、あえて懸命に復職に尽力しない人も多いのだそうです。
私のドイツに対する印象は、今回で大きく変わりました。

「地球環境は、あと2~ 3年でポイント・オブ・リターン(折り返し不能地点)に達する」
と言いながら、研究所に誰もいない光景を目の当たりにした私は、
「もはや私(B&G)がやるしかない」と決意を新たにしたのです。

一刻を争うような切迫した環境問題に対峙しながら、
いくら休みの日とはいえ事務員一人をおいて
誰も研究所にいないことに改めて危機感を持ち、
「私がやろう!」と決意を固めた

(2025年5月 ドイツの環境の良い
   保養所のような場所にある気候影響研究所にて)