天国と地獄
 

2021年2月5日更新

第155回 私の印象に残った国々①「チュニジア」

 
皆さんこんにちは、浅井隆です。
今回は私がこれまで訪れた国の中でも非常に印象に残った
「チュニジア」という国についてお話しします。
チュニジアと聞いても「よくわからない」という方も多いと思いますが、
地中海に面した北アフリカの国です。
イタリアは長靴のような形をしていますが、
その長靴の先端にシチリア島という大きな島があります。
その対岸、つまり北アフリカの真ん中あたりにある国です。

チュニジアは、かつて「カルタゴ」という国でした。
カルタゴは、海洋民族のフェニキア人が建設した植民都市で、
地中海の交易で大いに繁栄しました。
ローマとカルタゴという二大帝国が地中海の覇権をめぐり争ったのです。
今から2000年以上前、ハンニバルという将軍が率いるカルタゴ軍がローマを奇襲しました。
ハンニバルの軍勢はなんと、険しいアルプスの山脈を数十頭の象を連れて乗り越え、
スペインから南仏を通り、ローマに侵攻しました。
不意をつかれたローマは陥落寸前に追い込まれましたが、
その後形勢は逆転し最終的にカルタゴは滅亡しました。
度重なるカルタゴによる侵略を受け、ローマはカルタゴの街を燃やし破壊し尽くしました。
カルタゴの肥沃な農地には大量の“塩”がまかれ、二度と作物が獲れないようにしたそうです。

現在は米中対立が激しくなっていますが、今から30数年前は貿易摩擦など
日米間で緊張が高まっていました。
バブル期には日本の三菱地所がロックフェラー・センターを買い占めるなど、
急速に経済力を高める日本に対しアメリカは恐怖におののきました。
当時のアメリカと日本の関係はローマとカルタゴの関係に似ていたことから、
日本もカルタゴのようにアメリカに滅ぼされるのではないかといった内容の本が出版され、
一世を風靡しました。
それで私はカルタゴに興味を抱き、ぜひ見に行きたいと思ったのです。

私はこれまで二度、チュニジアを訪れています。
初めて訪れたのは20年以上前、新聞社に勤めていた頃です。
30代でお金もなかったですが、どうしてもチュニジアをこの目で見てみたかったのです。
私も若く、好奇心が旺盛でしたし
「実際に現地を見て勉強する。それが将来、生きてくるんだ」という気持ちがありました。
当時としてはかなりの“大金”をはたいてチュニジアまで行ったのです。

その後、私は毎日新聞を退職し「浅井隆」というペンネームで本を出版し、
会員制組織を立ち上げました。
2回目のチュニジア渡航は、その初期の会員様数名と出かけました。
当時のチュニジアは、今のようにテロもない時代でしたし、まだまだのんびりしていました。
フランスの植民地だったため、食事も美味しいのです。
野菜中心の食事で、卵やレンズ豆を使った料理など、
日本人の口に合う美味しい料理だったことを覚えています。

旅行中、ある男性の会員様が「和食以外食べられない」と言うので少々困ってしまいました。
首都チュニス郊外のカルタゴの遺跡周辺で食事をすることになったものの、
和食店は当時一軒もありませんでした。
そこで、中華料理なら多少は和食に近いのではということになり、中華料理店を探しました。

そして、ある「高級中華料理店」に入りました。
注文後しばらくすると、料理が出てきました。
なかなか美味しそうな中華料理です。
ところが、一口食べて仰天しました。「何だ、これは!?」全く中華料理の味ではないのです。
不思議に思った私は店のオーナーシェフを呼び、
「あなたは本物の中華料理を食べたことがありますか?」と訊ねました。
すると、「いや、食べたことはない」と言うのです。
つまり、写真とレシピを頼りに作っただけで、
一度も本物の中華料理を食べたことがないのだそうです。
当時、チュニジアでは中華料理はまだ珍しく、
世界三大料理として人気もあり高い料金を取れるということで中華料理店をやっていたのです。

その「高級中華」はさすがに食べられる代物ではなく、
私たちは仕方なく他のチュニジア料理店に行きました。
チュニジア料理は、飽きのこない素晴らしい料理でした。
なにしろ、物価が安いのです。
当時、日本の3分の1から4分の1程度でどんなにお腹いっぱい食べても懐が痛みません。

カルタゴの遺跡と言っても、ローマが全て破壊しましたから雰囲気しか残っていません。
それでも風情はありました。カルタゴの遺跡周辺を歩いていた時のことです。
自転車に乗った老人が、まるで忍者のようにすぅっと現れたかと思うと、
私の目の前で手をぱぁっと開いたのです。
老人の手にはどこかの遺跡から見つけたのか、古代のコインがありました。
日本人だからお金を持っていると思ったのでしょう。
「コインを買わないか?」というわけです。
私がそれを買うと、またすぅっといなくなってしまいました。
この出来事は、とても思い出に残っています。何とも“不思議な魅力”のある国です。

その後、古代ローマの遺跡を見に行きました。
気温が50度近くある中、歩き回りました。
普通はそのような高温の中、歩き回ることなどできませんが、
その時は苦もなく歩くことができました。
50度近い気温と言っても湿気がないため、暑さを感じないのです。
「全然、大丈夫!」とばかりに歩き回りました。
しかし、見学を終えバスに乗り込むなり、私は激しい頭痛に襲われました。
熱中症でした。私が熱中症になったのは、後にも先にもこの時だけです。
ガイドが近くのレストランに飛び込んで氷を分けてもらい、
それで体中を冷やして事なきを得ました。
高温でも湿度が低くて暑さを感じず、気づけば熱中症……「怖いな」と思いました。

チュニスの街から急行で3時間ほど東に行ったところに、素晴らしい海岸の街があります。
名前は忘れましたが、そこに素敵なホテルがあり、美しいビーチを眺めながらお茶を飲みました。
次回はここに泊まりたいなぁ~と思ったのを覚えています。
当時、高級なホテルは多くありませんでしたが、素敵なレストランはありました。
利用したチュニスのレストランはとても風情があり、
その料理は一生忘れられないほど美味しいものでした。

当コラムでも度々お伝えしてきましたが、私はこれまで世界の多くの国を旅してきました。
それでも、まだ行ったことのない場所はたくさんありますし、行ってみたい場所もあります。
たとえば、カムチャッカ半島。
観光地としては整備されていませんが、火山をはじめとする雄大な景観にはとても惹かれます。
それと、ウラジオストックにも行ってみたいですね。
「ロシア太平洋艦隊」の本部が置かれたところです。

他にも、海外にも国内にも魅力的な場所はたくさんあります。
皆さんの行ってみたい場所はどこですか?
コロナ禍の中、なかなか思うように旅行することはできませんが、
あと1年か1年半後には、また自由に旅行できるようになることでしょう。
皆さんもぜひ、元気なうちにいろいろな場所を旅していただきたいと思います。

 

若いころから旅行が好きだった。
「実際に現地を見て勉強する。それが将来、生きてくる」というのは、
結果として事実だった。
世界中で実際に見聞きしたことが、
今の私の思考や判断力に大きな影響を与えている。

  (2021年 東京・御茶ノ水にて)