さぁ、今回のコラムは前回までとはガラッと違う内容にしたいと思います。
どこもかしこもコロナウイルスの話ばかりで、気が重くなってしまいますので、
あえて違う分野の事を書いてみたいと思います。
実は、私はかねてより100年後でも読めるような本を出したいと思っていました。
私の本は、ほとんどが経済トレンド本ですから、
下手をすると3ヵ月、長くても1年で賞味期限の切れる短命の本が多いのです。
トレンド本というのは、そういう運命なのですが、
一点、約10年前に出版した『9.11と金融危機はなぜ起きたか!?』という、
「800年周期と覇権の移行」について書いた本は、100年後でも読める本だと思っています。
ただ、それとは全く違う本を出したいと思っているのです。
そのタイトルは『イエス・キリストは史上最高のセールスマンだった!?』(仮)です。
私は、残念ながらキリスト教徒ではなく仏教徒です。
ただ、本当の仏教徒とかと聞かれれば、ブッダがどういうことをしたかを多少知ってはいますが、
お寺にいつも行っているわけではありませんし、お坊さんの修行を積んだこともありません。
お葬式を仏教でやっている、という程度です。
私は早稲田大学の政経の政治学科に入り政治思想を専攻しました。西洋の政治思想です。
西洋の政治思想というのは、必ずギリシャ、ローマについて学びます。
西洋というのは、この2000年間キリスト教の影響下において発展してきたからです。
キリスト教を理解しない限り、西洋の政治思想は理解できないと言われており、
イエス・キリストの生涯などをその当時勉強しました。
ですから、イエス・キリストについて非常に興味があるのです。
最近、イエス・キリストがエルサレムのゴルゴタの丘で処刑され、
そのあと十二使徒がローマ中を歩き回り布教したという話を久々に読み返してみて、
「この人たちはすごいな!」と心底思いました。
どうしてか?――それを今回のコラムではお話しましょう。
イエス・キリストという人物をキリスト教の創始者だと、私たちは考えています。
しかし実は、彼はユダヤ教の改革をしようとしただけだったのです。
ただし真剣に、命懸けで。
ですから、もし彼が今生き返り、現在のこの世の中を見たら、
びっくりするのではないでしょうか?
「私は単にユダヤ教を改革しようとしただけで、
こんな世界的な大宗教に発展しているとは夢にも思わなかった!」と。
当時、ユダヤ教のえらいお坊さんは、イエスの活躍を見て恐怖を感じていました。
「あいつはユダヤ教を批判して改革しようとしている。自分たちの身にも害がおよぶかもしれない」。
そう思い、できればローマの代官に訴えて殺してしまいたいとまで思っていたのです。
ただ、信者たちや一般の民衆はローマに反感を抱いていたものですから、
下手に手を出すわけにもいかない。
そこで、ずっとスパイをつけてユダという人間に裏切らせて情報を得るわけです。
イエスは、「最後の晩餐」で不思議なことを言っています。
彼は予言者でもありますから、自分がこれから殺されることもわかっていました。
そして、十二使徒たちにこう言います。
「おまえたちは皆、誰も私のところに来ないだろう」と。
一番弟子のペトロ(サンピエトロ寺院は、今ではローマ法王がいるバチカンですが、
あそこは実はペトロが逆さ磔にされて殺された場所の上に建てられた教会なのです)にも、
「おまえも今晩、『イエスを知っているか?』と尋ねられて、
『そんな人は知らない』と3回否定するだろう」と言っているのです。
もちろんその場では全員が「そんなことありません!」と否定しますが、
実際にイエスが捕まった時、弟子たちは全員が逃げてしまうのです。
ある者は隠れ、ある者は裁判に引き出され「イエスなんて知りません」と言って、
全員助かるのです。
イエスの処刑場にもマリアや女たちは行っているのですが、弟子たちは誰一人行っていません。
十二使徒はイエスが死んだところを誰も見ていないのです。
十二使徒たちは二つの恐怖におののいていました。
一つはローマ帝国に捕まって死にたくないという恐怖。
そしてもうひとつは、最後の晩餐までして、
ここまで一緒にやってきた我々にあんなひどい裏切りをされて、
イエスは恐らく自分たちを呪って死ぬであろうという罪の意識から来る恐怖です。
しかし、イエスはまったく恨み心など持っていませんでした。
それどころか、「彼らは可哀そうな人たちなのです。ぜひ彼らを助けて下さい!」と言って
死んでいったのです。
十二使徒たちは、このイエスの最後の言葉を人づてに聞きます。
それを聞いて彼らは皆絶句し、後悔します。
死ぬほど後悔して悔い改めて、それでイエスが死んだ後、彼の教えを広めていくのです。
イエスは自分が死なない限り、死ぬことによって彼らの心を変えない限り、
この世の中は変えられないということがわかっていたのです。
そのために、死を甘受したのです。
両手両足を釘で打たれ、3時間も磔にされ、最後は出血多量で死に至ります。
彼も人間ですから、その3時間の苦しみは想像を絶するものがあります。
それでも、その想像を絶する苦しみに耐えて死んでいったのです。
ですから、キリストの復活というのは、彼ら十二使徒の魂の中に復活した、そういうことなのです。
十二使徒たちは、もともとはそういう風に臆病者で裏切り者で、情けない連中でした。
その彼らが生まれ変わったように強い人間になって、命がけで布教したのです。
初期の頃はキリスト教というのはローマ帝国では「邪教」と言われ、
見つかれば警察に捕まえられて拷問を受け、最後はコロセウムに引きずり出されて、
市民がたくさん見ている前で猛獣を放って食い殺させました。
それを見て、ローマ市民は喜んだのです。
そこまでされても、信念を捨てずに力強く広めていったのです。
その後、古代ローマ帝国が滅びる頃(4世紀末)にやっと国教(ローマの国の宗教)になり、
それがロシアからスペインまで広がっていったのです。
そしてヨーロッパからアメリカ大陸に広がり、今では世界一の宗教になりました。
その布教の第一歩を踏み出した十二使徒は、すごい人たちです。
しかし、十二使徒は今日でこそ「聖人」と呼ばれていますが、
最初は単なる大工、単なる漁師、単なる税務署員(それも一番悪徳でワイロをもらっていた)
ような人たちだったのです(しかも、いざという時には我が身可愛さでイエスをに裏切りました)。
そういう人たちを、イエスは言葉とそして自分の犠牲をもって生まれ変わらせ、
その教えを世界中に広めたのです。
ですから、そういう意味ではイエス・キリストは最高のセールスマンなのです。
これは、あらゆる人間活動において――宗教においても、教育現場においても、
あるいは家庭内の教育においても、そしてビジネスの世界においてさえも、
とても大切なことを伝えてくれていると思います。
どんなにAIが進歩しても、最後は人間対人間のコミュニケーションです。
生の声で伝えていくこと、そして最後は自己犠牲というものがとても大きいのですね。
犠牲なしには、長い歴史の試練を乗り越えて生き残っていくことはあり得なかったのです。
ビジネスの世界でも、すごい会社の経営者というのは、人には言いませんが
寝ずに幾晩も考えて悩んだり、あらゆる現場に何度も足を運んだり、いろんな人間と会ったりと、
身を呈して、まさに自分を犠牲にして努力をしているわけです。
犠牲なしで簡単に成功した、儲けられた、などということはあり得ません。
こういう意味で、イエス・キリストと十二使徒のやったことはすごい話だと思います。
来年の年末ごろになるかもしれませんが
『イエス・キリストは史上最高のセールスマンだった!?』という本を出したいと思っています。
ぜひ、注目していていただきたいと思います。 |