コラム天国と地獄
 
2016年9月1日更新

コラム「天国と地獄」を始めるにあたって

 
皆さん、こんにちは。浅井 隆です。

このサイトを見て下さっている方の多くはご存じのように、
私ども第二海援隊は出版社であり、
またグループ子会社で投資家(富裕層から一般庶民まで)向けに海外ファンドを中心とする
投資助言業務を行っています。

このたび、私ども第二海援隊では、 経済を中心に長期的な視野に立って、
いままでにないような独自の観点から面白い内容をお届けしようと、ここにコラムをはじめました。

題して「天国と地獄」。

なぜ、天国と地獄かという説明をいたします。

実は私は昭和29年生まれです。
戦争が終わって9年目。まだ戦後の傷跡が残っている時代でした。
物心がついた頃は昭和30年代で、時はまさしく「Always 三丁目の夕日」の世界。
その後、日本は高度経済成長期を迎え、
東京オリンピック、石油パニック、そしてバブルを経験し、
90年のバブル崩壊後は「失われた20年」といわれる時代を経て、
そして今、アベノミクス下で現在のような経済状況下にあります。

でも、戦後71年間においては、
終戦直後の約5年間のドサクサを除いて日本は非常に幸せな時代を経験してきました。
私から言わせますと、“まるで天国のような世界”を経てきました。
つまり、戦争もない、経済は安定している、食べ物に困ることもない……
低開発国では考えられないような、生きて行くことに問題がない世界です。

私は先日、ニューヨークの街を取材してきました。
資本主義の最先端と言われる大都会ニューヨークですが、
大金持ちの住んでいるマンションは確かに高級でキレイですが、
かたや道路に目を落とすと工事だらけのボコボコの道路、道端にはゴミがたくさん落ちている。
工事現場の廃墟のような場所があちこちにある、空気は排気ガスなどで汚れている……。
人間が生活するのに快適な街とは言い難いと思いました。
 
  ニューヨークの繁華街
「タイムズスクエア」での取材時の1枚
(2016年6月)
 
  「ニューヨーク証券取引所」前にて
(2016年6月)
 

それに比べて日本の大都会・東京は、
ご存知のように“世界で一番きれいな都会”と称されるように、
いたるところ掃除が行き届いた中、
町は整備され、道路は歩きやすく平坦で、空気もきれいという環境があります。
私たち日本人は、都会にあっても清潔で住みやすい、幸せな環境にいるのです。

でも、ふと、これがこのままずっと続くのだろうかと不安になります。
私独自の歴史観から言いますと、
これから5年ないし10年以内、遅くとも15年以内に世界は激変するのではないかと思えます。
もちろん、これは当たってほしくない予測です。
しかし、残念ながら世界的に有名な投資家のジム・ロジャーズも
「人生の中で最悪ともいえるような出来事がいつ起きてもおかしくない時代に入った」と
最近、弱気な発言をしています。

こうした発言の背景には、まず中国のバブル崩壊が関係しています。
全世界的に、特に新興国を中心に大打撃を受けているのです。
中国経済が元に戻るには、少なくとも10年、下手をすれば20年かかると私は見ています。
さらに、アメリカの衰退をいいことに、ロシア、中国が勝手なことを言いだして、
ロシアはウクライナの一部を侵略し、中国は南沙諸島海域に勝手に人工地盤を作り、
空港まで作って自身の領土としている……。
世界中の中央銀行がリーマンショックの危機を救うためになんでもありの政策を行い、
果てにはマイナス金利にまで突入してしまいました。
わが日銀に至っては、毎年80兆円以上の国債を買いまくり、
ヘリコプターマネー、つまり直接お金をばらまくということとほぼ同じことをしています。

このままいくと、日本は財政破綻、
世界では資本主義が終わるかもしれないほどの混乱という未来が待ち受けていて、
そしてその混乱の行き着く先には独裁者が出現して戦争を引き起こすということもありうる、
そういう大変な時代に私たちは生きているのではないかと思うのです。

今はまだ、私たちは「天国」を生きています。
しかし、近い将来、「地獄」のような状況がやってくるかもしれません。

でも、私たち日本人は太平洋戦争の最中も、その戦後もたくましく生き残り、
一時は世界一と言われた経済大国にまで復興させた、知恵のある民族です。
どんな環境の中でもたくましく生き残って行こう! というメッセージを
このコラムの場に載せて、配信していきたいと思っております。

残念なことに、最近、日本では
人々の心が乱れていると思われるような事件がたくさん起こっています。
日本人の抱えている精神的な問題も含めて、
いろいろな意味で長期的な観点、戦略的な観点から物事を紐解き、
皆さんの10年後、20年後のよき人生を作っていけるよう、
今後の私たちの一つの指針になればと思って始めたいと考えております。

浅井隆